ボヘミア貴族
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 04:04 UTC 版)
「乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ」の記事における「ボヘミア貴族」の解説
ヴァルテンベルクのチェニェク(チェコ語版) ボヘミア貴族の筆頭であり、ボヘミア王に代わってあらゆる都市行政を司るボヘミア最上級城伯の地位を持つ。 フス派の穏健派であるウトラキスト(聖杯派)のトップとして、ボヘミアの防衛とフス派の信仰の保護、およびカトリック派との和平による戦争終結を何とか両立させようと苦闘するが、結果としてどっちつかずの苦しい立場に追い込まれ、フス派の分裂を招いてしまう。 マレショフの戦いでジシュカ率いる急進派の軍に決定的に討ち破られてフス派内での影響力を失い、その後失意のうちに没した。 ロジュンベルクのオルトジフ(チェコ語版) 南ボヘミアに拠点を持つ大貴族ロジュンベルク(『薔薇の城』の意)家の少年当主。戦争開始当初はチェニェクらと共にフス派支持を表明するが、その後カトリック派に転じる。 未成年での家督相続当時に後見人として彼を支えたチェニェクを実の兄のように慕っているが、ジシュカに対しては強い反感を隠さない。 シュヴァンベルクのボフスラフ(ドイツ語版) ヴァルテンベルク家、ロジュンベルク家と並ぶ大貴族、シュヴァンベルク(『白鳥城』の意)家当主。オルトジフとともにフス派支持からカトリック派に転じるが、ヴィシェフラドの戦い(英語版)でフス派の捕虜となり、助命と引き換えに再度フス派に転じる。 再転向にあたり貴族や大商人主体の穏健派ではなく、最急進派のターボル派に身を置き、彼らの武力を利用してボヘミアの覇権を狙おうとしていたが、徐々に本気でフス派の理想と信仰に傾倒していった。 ジシュカの死後、レッツの戦いにおいて突撃の先頭に立ち見事に城門を突破するが、そこで重傷を負いレッツ陥落の直後に死亡した。 リヒテンブルクのヒネク=クルシナ(英語版) ボヘミアの有力貴族、リヒテンブルク家の青年当主で熱心なフス派信徒。当初は農民主体のターボル軍に対して隔意があったが、後にはその実力やジシュカの軍略を認め、自らが支援者となってフラデツ近辺のオレープ山にターボルと同様のフス派共同体を設立するまでになる。 その後次第に急進性を強めていくターボル派、オレープ派のあり方に危機感を抱き、袂を分かってウトラキスト(聖杯派)に転じるが、マレショフでの敗戦の後ジシュカの下に復帰した。 ミレチーネクのジヴィシュ=ボチェク(チェコ語版) 聖杯派貴族。ボヘミア平和同盟の一員としてヒネク=クルシナと共に急進派との交渉にあたるが、その一方で切り崩し工作によりチャペクを離反させた。 元々はオレープ派の一員の小貴族で、アンブローシュと共にフラデツ・クラーロヴェーを攻略してフス派支配下に置くなどチャペクにも『猛将』と評されるほどの武闘派であったが、カトリック派貴族や教会から接収した財産により大貴族の一員に成り上がった後聖杯派に転じた。
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