ホール (バンド)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > ホール (バンド)の意味・解説 

ホール (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/09 01:13 UTC 版)

ホール
Hole
2010年
基本情報
出身地 アメリカ合衆国 ロサンゼルス
ジャンル オルタナティヴ・ロック
グランジ
活動期間 1989年 - 2002年2009年 - 2012年
レーベル ゲフィン
ユニバーサル・ミュージック
旧メンバー コートニー・ラブリード・ボーカルギター
(1989年 - 2002年、2010年 - 2012年)
エリック・アーランドソン(リード・ギター
(1989年 - 2002年、2012年)
キャロライン・ルー(ドラムス
(1989年 - 1992年)
ジル・エメリ(ベース
(1990年 - 1992年)
パッティー・シェメル(ドラムス
(1992年 - 1998年、2012年)
レズリー・ハーディー(ベース
(1992年 - 1993年)
クリステン・パーフ(ベース
(1993年 - 1994年)
メリッサ・オフ・ダ・マーベース
(1994年 - 1999年、2012年)
サマンサ・マロニー(ドラムス
(1998年 - 2000年)
ミーコ・ラーケン(リード・ギター
(2010年 - 2012年)
ショーン・デイリー(ベース
(2010年 - 2012年)
スチュー・フィシャー(ドラムス
(2010年 - 2011年)
スコット・リップス(ドラムス
(2011年 - 2012年)

ホールHole)は、アメリカ合衆国ロサンゼルス1989年コートニー・ラブを中心に結成されたロックバンド。コートニーの夫カート・コバーンニルヴァーナ、元交際相手のビリー・コーガン率いるスマッシング・パンプキンズらと並び、1990年代を中心に世界的に高い人気を誇った。

活動期間中は、様々な事情で幾度となくメンバーが交代した。解散時の編成は、リード・ボーカル兼ギターがコートニー・ラブ(Courtney Love)、リード・ギターがエリック・アーランドソン(Eric Erlandson)、ドラムスはサマンサ・マロニー(Samantha Maloney)。なお、この時点でのベーシストは不在。

来歴

:本稿の記述におけるCDのリリース日、映画の公開日等は全てアメリカ合衆国におけるもの

結成

10代から音楽活動を行い、フェイス・ノー・モアのボーカルを一時期務めるなど、ミュージシャンに知己の多かったコートニー・ラブが、1989年にロサンゼルで結成。2年後の1991年9月7日、1stアルバム『プリティ・オン・ジ・インサイド』(Pretty on the Inside)をヴァージン・レコード傘下のインディーレーベルであったキャロライン・レコードからリリース。コートニー自身が、娼婦だった体験などを赤裸々に歌い上げた作品で、欧米ツアーを成功させた。なお、このアルバムはソニック・ユースのキム・ゴードンとドン・フレミングがプロデュースしている。

また、この年にコートニーはカートと出会い、既にトップスターだったカートとの交際はセンセーショナルに報道され、皮肉にもコートニーとバンド自身の知名度を上げることに一役買うこととなった。

リブ・スルー・ディス

こうした私生活のトラブルやメンバーの交代が相次ぐが、1993年には、ニルヴァーナの所属レーベルでもあるゲフィンと契約。メジャーデビュー作となるアルバムの制作を行う。この作品は、1994年4月12日リリースが告知されるが、発売1週間前の同年4月5日に、カートが散弾銃で自殺を遂げる。この事件には、不審な点も多かった事から、他殺説も含めた様々な憶測が飛び交い、中には「カートはコートニーに殺された」と主張する者もいた。

そうした事態を乗り越えて、予定通り2nd(メジャー1st)アルバム『リブ・スルー・ディス』(Live Through This)はリリースされた。なお、一部の曲でカートがバックボーカルを務めており、一部にはソングライティングにも携わったという疑惑もあったが、コートニーはそれを否定している。

この作品は、その内容もさりながら、やはりセンセーショナルな話題性で大きな商業的成功を収め、ビルボードでは最高52位止まりながらロングセールスで、米国のプラチナムディスクを獲得した。ちなみに、このアルバムの裏ジャケットに写っているのは、少女時代のコートニーである。

セッション

しかし、悲劇は続き、このアルバムにも参加したベーシストのクリステン・パーフ (Kristen Pfaff)が1994年6月16日ヘロインオーバードース(過剰摂取)で変死した。バンドは代役にメリッサ・オフ・ダ・マー (Melissa Auf der Maur)を迎え、大規模なツアーを成功させた。1995年2月14日にはMTVアンプラグドに出演し、オリジナル曲に加えて、当時未発表曲だったニルヴァーナの「ユー・ノウ・ユア・ライト」("You Know You're Right")などを演奏している。

また、この時期には、初期のレア音源集も発表されている。1995年9月8日には『アスク・フォー・イット』(Ask for it1991年11月19日1992年春のセッションを収録)、1997年8月26日には『ザ・ファースト・セッション』(The First Session1990年のセッションを収録)、同年10月28日には『マイ・ボディ・ザ・ハンド・グレネード』(My Body, the Hand Grenade、B面曲や未発表曲を集めたミニアルバム)がリリースされた。

映画

一方では、1996年に公開されたミロス・フォアマン監督の映画『ラリー・フリント』(The People vs. Larry Flynt)で、コートニーは女優として、ニューヨーク映画批評家協会賞とボストン映画批評家協会の最優秀女優賞、シカゴ映画批評家協会の最優秀新人女優賞を受賞。第54回ゴールデングローブ賞主演女優賞にもノミネートされ、ホール以前の1986年から活動していた女優としての地位を確立する。

セレブリティ・スキン

こうした事情から、バンド活動は停滞するが、1997年から約1年半に亘って、ロサンゼルスとロンドン、ニューヨークでセッションを行い、1998年9月8日に、3rd(メジャー2nd)アルバム『セレブリティ・スキン』(Celebrity Skin)がリリースされた。このアルバムは、スマッシング・パンプキンズビリー・コーガンの助力を受けて完成した。また前作が「ソングライティングにカートの助力を仰いだ」という疑惑にさらされた事から、ビリーら外部の人間を含めた、ソングライターのクレジットを明記している。なお、この作品では、コートニーはギターを弾いておらず(全てエリックの演奏)、作詞と歌唱に専念したという。また収録曲「ボーイズ・オン・ザ・レイディオ」("Boys On The Radio")は亡きカートに捧げた歌である。ビルボードでは最高8位、全英でも最高11位を記録し、グラミー賞にノミネートするなど商業的にも成功を収めた。

争議

しかし、バンドは契約を巡って、レコード会社ユニバーサル・ミュージックと争議を起こし、遂には訴訟問題にまで発展した。再びバンドの活動は停滞する。1999年10月には、ベースのメリッサが、以前からファンだったというスマッシング・パンプキンズに加入するため脱退、バンドはメンバーの補充も行わず、実質的に活動休止状態となった。

バンドの争議は、アーティストの著作権問題に絡み、マスコミに取り上げられ、コートニーは別件でクリス・ノヴォセリックデイブ・グロールニルヴァーナの権利を巡っても衝突を起こした。

解散

バンドが停滞している時期にも、サマンサがモトリー・クルー2000年ライブツアーに参加するなど、個別の活動は行われていた。サマンサは、このツアーで、ホール時代唯一の日本公演を果たしている。

2000年3月には、オリバー・ストーン監督、アル・パチーノ主演の映画『エニイ・ギブン・サンデー』(Any Given Sunday、公開は1999年12月22日)に使用された「ビー・ア・マン」("Be a Man")がシングルとしてリリースされるが、これがホールとしては最後の作品となった。

その後も、活動再開については様々な憶測や希望が飛び交うが、最終的には、2002年5月に、コートニーとエリックがバンドのウェブサイトで解散を宣言した。

その後

解散後、エリックはプロデューサースタジオ・ミュージシャンとして活動している。また、彼は東洋思想にも深い関心を抱いており(1991年以来日蓮正宗の信徒でもある)、その研究にも邁進している。

メリッサは、スマッシング・パンプキンズ解散後の2004年にソロ・アルバムを発表し、この作品には、元スマッシング・パンプキンズのジェームス・イハやエリックも参加している。なお、再結成したスマッシング・パンプキンズには、参加希望を表明していたが、今のところ加わっていない。

サマンサは、スタジオ・ミュージシャンとして活動し、メリル・ニスカー率いるピーチズのアルバムに参加した。

コートニーは、女優としての活動や私生活上のトラブルが続き、一時は元メンバーのPatty Schemelらと新バンドバスタード(BASTARD)を結成するも、立ち消えとなった。結局彼女は、ソロとして音楽活動を再開し、2004年2月10日に1stアルバム『アメリカズ・スウィートハート』をリリースした。この作品には、サマンサやPattyも参加している。その後ツアーも行い、2007年には2ndアルバムをリリース予定。

再結成

2010年、再結成を表明。しかし、この再結成でのバンド・メンバーのうち、オリジナル・メンバーはコートニー・ラブのみで、あとのメンバーは新しい顔ぶれとなった。また、1stから3rdアルバム時のような、ギターのエリック以外は全員女性、といった編成でもなくなり、コートニー以外は全員男性である。この再結成に際し、オリジナル・メンバーであるエリック・アーランドソンは、『自分抜きでのホール再結成は法的にあり得ない』と物言いをつけた。

2010年4月27日、ホール名義としては12年ぶりとなるオリジナル・アルバム『ノーバディーズ・ドーター』がリリースされた。

2010年夏にはSUMMER SONICで訪日。

メンバー

エリック以外は、全員女性。メリッサ以外は、全員アメリカ合衆国出身。
主要メンバー以外は、日本語表記が成されていない、一定していないため、英語表記のままとする。

参加作品

  • メンバープロフィールの後の記号を参照
○:Pretty on the Inside
△:Live Through This
◎:Ask for It
●:The First Session
□:My Body, the Hand Grenade
☆:Celebrity Skin

ディスコグラフィ

アルバム

  • 『プリティ・オン・ジ・インサイド』 - Pretty on the Inside (1991年9月17日)
  • 『リヴ・スルー・ディス』 - Live Through This (1994年4月12日)
  • セレブリティ・スキン』 - Celebrity Skin (1998年9月8日)
  • 『ノーバディーズ・ドーター』 - Nobody's Daughter (2010年4月27日)

コンピレーション・アルバム

  • My Body, the Hand Grenade (1997年10月28日)

EP

  • 『アスク・フォー・イット』 - Ask for It (1995年9月8日)
  • The First Session (1997年8月26日)
  • 『オーフル』 - Awful: Australian Tour EP (1999年)

シングル

  • "Retard Girl" (1990年4月)
  • "Dicknail" (1991年3月)
  • "Teenage Whore" (1991年8月)
  • "Beautiful Son" (1993年4月)
  • "Miss World" (1994年5月12日)
  • "Doll Parts" (1994年11月15日)
  • "Violet" (1995年1月1日)
  • "Softer, Softest" (1997年1月)
  • "Celebrity Skin" (1998年10月8日)
  • "Malibu" (1998年12月29日)
  • "Awful" (1999年4月27日)
  • "Be a Man" (2000年3月28日)

関連項目


「ホール (バンド)」の例文・使い方・用例・文例

Weblio日本語例文用例辞書はプログラムで機械的に例文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「ホール (バンド)」の関連用語

ホール (バンド)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



ホール (バンド)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのホール (バンド) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。
Tanaka Corpusのコンテンツは、特に明示されている場合を除いて、次のライセンスに従います:
 Creative Commons Attribution (CC-BY) 2.0 France.
この対訳データはCreative Commons Attribution 3.0 Unportedでライセンスされています。
浜島書店 Catch a Wave
Copyright © 1995-2025 Hamajima Shoten, Publishers. All rights reserved.
株式会社ベネッセコーポレーション株式会社ベネッセコーポレーション
Copyright © Benesse Holdings, Inc. All rights reserved.
研究社研究社
Copyright (c) 1995-2025 Kenkyusha Co., Ltd. All rights reserved.
日本語WordNet日本語WordNet
日本語ワードネット1.1版 (C) 情報通信研究機構, 2009-2010 License All rights reserved.
WordNet 3.0 Copyright 2006 by Princeton University. All rights reserved. License
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
「斎藤和英大辞典」斎藤秀三郎著、日外アソシエーツ辞書編集部編
EDRDGEDRDG
This page uses the JMdict dictionary files. These files are the property of the Electronic Dictionary Research and Development Group, and are used in conformance with the Group's licence.

©2025 GRAS Group, Inc.RSS