ベルリン市街脱出作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/17 10:14 UTC 版)
「アンリ・フネ」の記事における「ベルリン市街脱出作戦」の解説
フランスSS突撃大隊指揮官アンリ・フネSS義勇大尉に残されている唯一の打開策は、赤軍の手に落ちたベルリンから脱出してヴァルター・ヴェンク装甲兵大将のドイツ第12軍がいるはずのポツダム(Potsdam:ベルリン中心街から約26キロメートル南西に位置する町)まで突破を試みることであった。ベルリン地下鉄の線路を利用して行けるところまで行き、夜を利用して休息をとるというフネの考えに大隊の生存者全員が同意した(総統官邸からポツダムまでの距離は、2ヶ月前のポメラニア戦線におけるケルリン(Körlin、現カルリノ (Karlino))からオーデル川までの距離より短かった)。 可能な限り音を立てぬようにして進み、フネたちはベルリン・ミッテ区ポツダム広場まで辿り着いた。彼らは積もった瓦礫を乗り越え、時には手や銃剣で瓦礫を除去しつつ移動を続けた。 ところが、5月2日正午頃、ポツダム広場において斥候がもたらした報告により、地下鉄の線路が地上と繋がっていることが判明した。身を隠しながらベルリン市街を脱出する武装親衛隊フランス人義勇兵たちにとって、これは日中に移動を続けることを不可能にした。それゆえ、フランスSS突撃大隊の生存者は一か八かの賭けに出る前に夜の闇を待つことを選び、小グループに分かれてそれぞれ次々と姿をくらました(トンネルの1つは散乱する瓦礫に埋もれた橋げたの下にあり、手ごろな隠れ場所を提供していた)。 しかしその後、フランス人義勇兵たちの潜伏場所に彼らと同じく身を隠そうとした国民突撃隊の老人数名がやってきた。老人たちは身を隠すのに手間取り、赤軍の斥候の注意を引きつけてしまった。「撃つな! 撃つな!」(Ne tirez pas ! Ne tirez pas !) と、赤軍兵に最初に捕まった武装親衛隊フランス人義勇兵が叫んだ。それから赤軍兵は周囲を捜索し、潜伏中のフランス人義勇兵の小グループを次々と発見した。 大隊長フネ、大隊副官フォン・ヴァレンロート、第2補佐ドゥールー と他数名のグループは枝編みの籠の背後に巧妙に隠れており、発見を免れた。彼らは戦友たちが赤軍兵に捕まっていく様子を口から心臓が飛び出る思いで目の当たりにした。その時、ロジェ・アルベール=ブリュネSS義勇伍長がフネたちの隠れ場所に滑り込み、声をひそめて言った。「お前たちと一緒にいたい。まだ出て行く時じゃない!」 赤軍兵による捜索はなおも続き、フネたちは敵兵が近くを通る度に息を押し殺した。捕らえられた他のフランス人義勇兵たちは赤軍将校に人数を数えられた後、地上へ連行されていった。潜伏中のフネは腕時計を見た。潜伏開始から1時間が経過しただけであった。突然、さらに足音と声を響かせて赤軍兵が戻ってきた。今回はより綿密な捜索が行われたが、それにもかかわらず、またも敵はフネたちの隠れ場所の近くを通り過ぎていった。フネたちは狩りの獲物になった気分であったが、まだ希望を捨てていなかった。 しかし、フネにとっての終わりは唐突であった。赤軍兵は軍靴と銃床で隠れ場所の籠を破壊し、フネたちをすぐさま捕らえた。フネたちは所持品を調べられ、まず腕時計が奪われ、その次に武器が没収された。
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