ベルナール 82
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/12 14:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動ベルナール 82
- 用途:長距離爆撃機
- 製造者:ソシエテ・デ・アヴィオン・ベルナール
- 初飛行:1933年12月11日
- 生産数:2機
ベルナール 82(Bernard 82)は、ソシエテ・デ・アヴィオン・ベルナールが設計/製造したのフランスの単発単葉の長距離爆撃機である[1]。2機の試作機が製造されただけで量産には入らなかった[1]。
設計と開発
ベルナール 82は、長距離飛行の記録樹立のために製作された長距離機ベルナール 80 GRを基に開発された[1]。全金属製の3座爆撃機は当時「報復爆撃機」(bombardier de represaillies)として知られ[1]、中翼に配置された片持ち式の主翼に、エンジンは860 hp (641 kW)のイスパノ・スイザ 12Ybrs エンジンを搭載していた[1]。試作初号機は1933年12月11日にル・ブルジェ空港から初飛行を行い、1934年3月に試作2号機がこれに続いた[1]。試験飛行の間に胴体側面の連装ラジエーターは前面ラジエーターに変更されたが、最大の問題点は降着装置であった[1]。引き込み式の降着装置は頻繁に故障して、脚が出ないまま着陸することになり、これは解決することなく1935年半ばには試験飛行は中止された[1]。10機の量産契約はキャンセルされた[1]。
1936年8月に試作2号機のエンジンがユンカース・ユモをライセンス生産した650 hp (485 kW)のCLM Lille 6ASに換装された[1]。この航空用ディーゼルエンジンを搭載した機体は「ベルナール 86」と改称され1936年9月に開催されたパリ=サイゴン・エアレースに参加申し込みをしたが、準備が間に合わず廃棄処分にされた[1]。
要目
出典: [1]The Illustrated Encyclopedia of Aircraft
諸元
- 乗員: 3
- 全長: 17.98 m (58 ft 113⁄4 in)
- 全高:
- 翼幅: 27.10 m(88 ft 11 in)
- 翼面積: 90.00 m2 (968.78 ft2)
- 空虚重量: 2,823 kg (6,224 lb)
- 運用時重量: 5,083 kg (11,206 lb)
- 動力: イスパノ・スイザ 12Ybrs 液冷 V型12気筒エンジン、641 kW (860 hp) × 1
性能
- 最大速度: 317 km/h 197 mph
- 巡航速度: 260 km/h 162 mph
- 航続距離: 2,800 km 1,740 miles
武装
関連項目
出典
脚注
参考文献
- The Illustrated Encyclopedia of Aircraft (Part Work 1982-1985). Orbis Publishing.
「ベルナール 82」の例文・使い方・用例・文例
- 国境なき医師団を設立したベルナール・クシュネルはイラク戦争に反対しなかった。
- それはベルナールのアメリカでの最後の出演だった
- ダーウィンの生年は1809年で没年は1882年だ
- 摂氏28度はおよそ華氏82度に相当する
- 発送時に、合計282ドルがお客様のクレジットカードに請求されます。
- 2009年の労働争議は総件数780件で対前年比18.7%増、総参加人員は61,482人で同34.8%減だった。
- もしスイートルームに興味があるようでしたら82000円の特別料金を提示いたします。
- 太郎は1982年に生まれました。
- 第 82 空挺師団.
- (在位 1760‐1820).
- (在位1820‐30).
- (1582年以後の)新暦.
- 800 メートルリレーでアメリカチームは 7 分 20 秒 82 で 2 位, これまた世界記録を破った.
- 彼女はバスト 82 センチ, ウエスト 56 センチ, ヒップ 86 センチだ.
- ギリシア独立戦争の決定的な海戦(1827年)
- ギリシャ人は1821年にトルコ支配に対して反逆した
- 教皇グレゴリオ13世の、教皇グレゴリオ13世に関する、または、1582年に彼が導入したカレンダー
- 米国の奴隷制度支持派と奴隷制度反対派の間の1820年の合意で、新しい地域への奴隷制度の拡張に関するもの
- ローマカトリック教会の旧裁判所(1232年−1820年)で、異教を発見して抑圧するために創設された
- ヒマラヤ山脈の、ネパールの山(高さ26、820フィート)
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