ヘンリー・フォードとの戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/16 23:57 UTC 版)
「アメリカユダヤ人委員会」の記事における「ヘンリー・フォードとの戦い」の解説
詳細は「ヘンリー・フォード#反ユダヤ主義」を参照 1920年代、自動車王ヘンリー・フォードは「ディアボーン・インディペンデント」紙を買収し、反ユダヤ記事を多数掲載した。ルイス・マーシャルはフォードの反ユダヤ言論活動を停止するのに尽力した。1920年12月1日、アメリカユダヤ人委員会は、ブナイ・ブリス、アメリカ・ユダヤ会議、アメリカ・シオニスト会議、アメリカ・ラビ中央協議会 と連名で冊子The "Protocols," Bolshevism and the Jews:An Address to Their Fellow-Citizens by American Jewish Organizations(議定書、ボルシェヴィズム、ユダヤ人:アメリカユダヤ人組織によるユダヤ人同胞へ)を発行した。12月4日、プロテスタント長老派教会は兄弟であるユダヤ人への攻撃を遺憾に思い、ユダヤ人の市民精神を信頼すると表明した。12月24日、ユダヤ教、カトリック、プロテスタント三宗派連合で少数民族とユダヤ人への迫害を断罪する三宗派共同声明を発表し、ユダヤ人のなかには革命運動で際立った役割を果たしていることは認めるし、ユダヤ人には善人も悪人もいるが、スラム、炭鉱、家畜処理場でユダヤ人が憎しみを減ずるものでなかったことについてはアメリカ人は恥をもつことになるだろうと述べられた。1921年1月16日のウィルソンら歴代大統領ほか著名人の共同声明は、反ユダヤ主義は反アメリカ的で反キリスト教的であると抗議した。『アメリカ』誌はフォードに抗議するユダヤ人について、ユダヤ人の素早さは称賛すべきであると報道した。 1921年に「ディアボーン・インディペンデント」紙は、ロンドンとニューヨークに代理政府を置いている「オール・ジュダーン(All Judaan)」はドイツへの復讐に成功したあと、イギリスを手中に収め、ロシアもユダヤ人に敗北してしまうだろうと述べて、寛容なアメリカはユダヤ人にとって約束の地なのだと述べた。また、フォードはニューヨークのユダヤ人がロシア最後の皇帝に代わる人物を任命したとも述べた。この記事に対してルイス・マーシャル弁護士は抗議したが、フォードは反論した。ジェイコブ・シフはフォードと揉めると大火事になってしまうと考え、抗議を断念した。さらに「ディアボーン・インディペンデント」紙は『シオン賢者の議定書』の紹介を始めた。1921年8月には『シオン賢者の議定書』のアメリカ版が出版され、経済界有力者や国会議員の手に入った。その後、名誉毀損訴訟を経て、フォードは1927年に謝罪し、これまでの反ユダヤ著作物を廃棄した。
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