プロ入り - タイガース時代 (1996 - 2002)
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1992年6月1日に、ドラフト45巡目でオークランド・アスレティックスから、そして1995年6月1日にドラフト43巡目でデトロイト・タイガースから指名されたが、いずれも契約しなかった。 1996年6月4日に、3度目のドラフトで5巡目でタイガースから指名され、7月5日に契約を結んだ。プロ入り後、マイナーリーグのジェームズタウン・ジャマーズ(英語版) (A-級) に配属され、43試合に出場。打撃面では、打率.248・1本塁打・14打点・3盗塁・OPS0.622という成績を残した。そして守備面では、23試合でキャッチャーとして守りに就き、3失策・守備率.982・盗塁阻止率21%という成績を残した。 1997年は、A級のウェストミシガン・ホワイトキャップス(英語版)に昇格して122試合に出場。打率.341・16本塁打・90打点・13盗塁・OPS0.994という打撃成績を残した。守備面では、キャッチャーとして出場したのは9試合だけで、他に96試合でファースト、3試合でサードの守りに就いた。最も多く守ったファーストでは10失策・守備率.990を記録した。 1998年は、9月18日のミネソタ・ツインズ戦でメジャーデビューを果たし、ヒットを2本放って1打点を挙げた。この年メジャーでは7試合に出場し、打率.364・3本塁打・7打点・1盗塁・OPS1.235という成績を残した。守備では、キャッチャーとファーストを守った。また、マイナーではAA級のジャクソンビル・サンズで130試合に出場し、打率.318・18本塁打・114打点・8盗塁・OPS0.939という成績を残した。 1999年は、手術した右肩のリハビリの影響で、前年のメジャー昇格以来、プレー出来ない状態が続いた。しかし、9月以降にメジャーでプレーする機会を得たフィックは、15試合に出場。9月27日のカンザスシティ・ロイヤルズ戦では、ジェフ・モンゴメリーからグランドスラムを放ったが、これは当時のタイガースの本拠地であるタイガー・スタジアムで最後に記録された安打且つ得点であった。また、同年マイナーではトレド・マッドヘンズ (AAA級) 、ウェストミシガン、GCL・タイガース(英語版) (ルーキー級) の3階級で計20試合に出場し、打率.309・2本塁打・10打点・3盗塁・OPS0.856という成績を残した。 2000年は、66試合に出場して打率.252・3本塁打・22打点・2盗塁・OPS0.715という打撃成績を残した。守備では、ファースト34試合で4失策・守備率.984、キャッチャー16試合で1失策・守備率.981・盗塁阻止率29%という成績をのこしたほか、指名打者としても12試合に出場した。また、マイナーではトレドで17試合に出場した。 2001年は、124試合に出場して打率.272・19本塁打・61打点・OPS0.816という成績を記録。本塁打は自己最多であり、打率とOPSも100試合以上に出場したシーズンの中ではキャリアハイの数値だった。守備面では、キャッチャー78試合で6失策・守備率.986・盗塁阻止率17%、ファースト26試合で1失策・守備率.995、ライト8試合で無失策だった。 2002年は、オールスターにも選出され、代打からの出場でヒットを1本放った。同年は148試合に出場し、打撃面では打率.270・17本塁打・63打点・OPS0.764という成績を残した。また、守備面ではライトに専念し、140試合で守って12失策・守備率.963という成績を記録。また、外野手として補殺 (21) 、失策、併殺の関与数 (5) でリーグトップだった。オフの12月21日にFAとなった。
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