プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王の意味・解説 

プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/24 05:08 UTC 版)

ゴラン・イワニセビッチ」の記事における「プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王」の解説

1988年プロ入り4大大会初出場同年ウィンブルドン選手権で、1回戦アモス・マンスドルフ敗れた1989年全豪オープンでイワニセビッチはミロスラフ・メチージュとの準々決勝まで勝ち進み同年全仏オープンではステファン・エドベリとの4回戦まで進出している。イワニセビッチが世界的な知名度高めたのは、1990年全仏オープン1回戦で第2シードボリス・ベッカー5-7, 6-4, 7-5, 6-2破りトーマス・ムスターとの準々決勝進出した時だった(この全仏オープンは、第1シードエドベリと第2シードベッカー同時に1回戦敗退する珍事幕を開けた大会であった)。続くウィンブルドン選手権で、イワニセビッチはノーシードから初めての準決勝進出し、再びベッカー連戦する。この時は6-4, 6-7, 0-6, 6-7敗れたが、この一連の活躍18歳のイワニセビッチは将来有望として評判高めた。 しかし、イワニセビッチのキャリアは苦難の連続だった。1992年ウィンブルドン選手権初めての決勝進出果たしたが、アンドレ・アガシ7-6, 4-6, 4-6, 6-1, 4-6フルセット敗れて準優勝同年にはバルセロナ五輪において単複銅メダル獲得している。1994年1998年にもウィンブルドン選手権決勝まで進出するが、ともにピート・サンプラス敗れ3度準優勝で“無冠の帝王”と呼ばれた。 イワニセビッチはウィンブルドン選手権での印象強いためか、(最初期除いて)他の4大大会での活躍はあまり目立たない。しかし1996年全米オープンではベスト4進出している。ダブルス分野でも、1990年1999年全仏オープン男子ダブルスでの2度準優勝があった。1990年全仏男子ダブルスではペトル・コルダ組み1999年ジェフ・タランゴ組んだ

※この「プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王」の解説は、「ゴラン・イワニセビッチ」の解説の一部です。
「プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王」を含む「ゴラン・イワニセビッチ」の記事については、「ゴラン・イワニセビッチ」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王」の関連用語

プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



プロ入り、ウィンブルドン無冠の帝王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのゴラン・イワニセビッチ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS