ブロードサイドの性質
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/19 16:39 UTC 版)
「ブロードサイド」の記事における「ブロードサイドの性質」の解説
原始的な初期の印刷機では、一枚の紙に印刷することが最も簡単で最も安価な印刷形態であり、その歴史の多くで1ペニー(約1万円)程度で販売されていた。また、縦に半分に切って「ブロードスリップ」を作ったり、折りたたんでチャップ・ブックにしたり、いくつかの曲が入っている場合は「ガーランド」と呼ばれていた。 現存する最古のブロードサイドは16世紀初頭にさかのぼるが、1550年以前のものは比較的少ない。1556年以降、ロンドンの書籍出版業組合はすべてのバラッドの登録を強制しようとしまし、そのときから1600年までの間に約2,000曲が記録されまが、印刷および配布が簡単だったためはるかに多くの曲が印刷された可能性がある。学者たちはしばしば17世紀半ばまでの最も一般的で、より大きく重厚な「ゴシック」活字を用いた初期のブラックレター・ブロードサイドと、より読みやすく、その後一般的になったより軽いホワイトレター、ローマン、またはイタリック書体を区別する。ブロードサイド制作の中心地はロンドンのセブン・ダイアルズ地区だった。 ブロードバンドは大量に生産され、1660年代までにイギリスで年間40万枚以上が販売されており、おそらく人気のピークに近いものだった。多くは街の通りや見本市で旅の行商人や客を惹きつけるためにブロードサイドに印刷された歌を歌うバラッド奏者によって売られた。イギリスでは、最初はチャップブック、後に製本された本や新聞がそれに取って代わり始めたことで17世紀にブロードサイドの人気が低下し始め、19世紀には絶滅したように見えるまでになった。アイルランドではより長く発行され、北米ではこれほど大量に生産されることはなかったが、18世紀には重要な存在となり、アメリカ独立戦争では、両陣営に重要なプロパガンダの媒体を提供した。 イングランドにおけるブロードサイドに関する知識のほとんどは、サミュエル・ピープス(1633-1703)、ロバート・ハーレー (初代オックスフォード=モーティマー伯)(1661-1724)など、いくつかの重要な人物がロクスバラ・バラッドとなるブロードサイドを収集することを選択したという事実に由来している。18世紀にはいくつかの印刷されたコレクションがあり、その中にはトマス・ダーフィーの Wit and Mirth, or Pills to Purge Melancholy (1719-20)』、トーマス・パーシー司教の Reliques of Ancient English Poetry (1765)、ジョセフ・リッツンの The Bishopric Garland (1784)などがある。スコットランドでは、ロバート・バーンズやウォルター・スコットなどの人物が『スコットランド国境の吟遊詩人』Minstrelsy of the Scottish Border(1802-03)で同様の活動を行っていた。最大のコレクションの一つは、 フレデリック・マッデン卿によって作られたもので、彼は約30,000曲を収集し、現在はケンブリッジ大学図書館の ’Madden Collection' に収録されているPublisher’s Introduction: ケンブリッジ大学図書館からのマッデンバラッド。現代のブロードサイド・バラッド歌手には、トム・パクストン(英語版)、ピート・シーガー、レナード・コーエン、グレアム・オールライト、フィル・オクスなどがいる。
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