ブルトン人の祖母とは? わかりやすく解説

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ブルトン人の祖母

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/22 12:00 UTC 版)

ブルターニュの聖アンナ崇敬」の記事における「ブルトン人の祖母」の解説

ブルトン人にとって、聖アンナは『ブルトン人の祖母』(ブルトン語:Mamm gozh ar Vretoned、フランス語ではla grand-mère des Bretons)との別名で呼ばれる存在である。言い伝えは、プロネヴェ=ポルゼが彼女の出生地であると伝えている。ブルターニュ民話収集したアナトール・ル・ブラーズは、アンナが残酷で嫉妬深い領主結婚していたと伝えている。子供嫌いな彼はアンナ妊娠しないようにしていた。彼女が妊娠した時、領主はモエリエンの城からアンナ追い出したアンナは幼いマリア一緒に放浪し、あるときトレファンテックで天使母子ボート導いた。神の意志により、天使彼女たちガリラヤに連れて行った月日流れマリアヨセフ結婚しイエス・キリストの母となったアンナブルターニュ戻り祈り捧げる晩年をおくり、貧者には物を恵んだ別の伝説によればアンナマリアの母、イエス・キリスト祖母、そしてヨアキムの妻であった。彼女の肉体実際に消滅してしまい、1624年オーレー(現在モルビアン県コミューン近郊に住む農夫イヴ・ニコラジックの前に現れた。アンナ彼に対し自分讃える礼拝堂をケルアンナ(Kel-Anna)集落建設するよう命じた。そこは彼がかつて借りていた農地であった1625年3月7日の夜、イヴ・ニコラジックと彼の弟、そして4人の隣人たちそのうち一部の者は松明明かりが、ある場所を指し示していたと報告している)は、地中から彫像掘り出した。後に厳かにカプチン会修道士たちによって彫刻施され彫像そのもの聖なるものであると認定された。修道士たちによる調査とニコラジックへの事情聴取が行われ、ヴァンヌ司教による遅延戦術ののち、聖人崇敬承認され礼拝堂建設長年わたって続けられ、やがて大聖堂完成した大聖堂所在地の名はサンタンヌ=ドーレーである。ブルターニュ守護聖人である聖アンナ捧げられ毎年パルドン祭りが行われる。フランス国内にあるカトリック巡礼地としてルルドリジューに次ぐ聖地となっている。 アルモリカにおける聖アンナ崇敬12世紀以前に見つかっていないが、かつて古代女神アナまたはダヌアイルランドトゥアハ・デ・ダナーン女神地母神)の存在広く伝播されていた。ブルターニュにおけるアンナ人気の高さは、全般的にケルト神話女神ダヌ存在後世にまで残っているという説明裏付けられる。 1996年、フランソワ・マチュラン・グルヴェス司教主宰のもと、ローマ教皇ヨハネ・パウロ2世サンタンヌ=ドーレー訪問し大聖堂祈り捧げた。これはローマ教皇の初のブルターニュ訪問となった

※この「ブルトン人の祖母」の解説は、「ブルターニュの聖アンナ崇敬」の解説の一部です。
「ブルトン人の祖母」を含む「ブルターニュの聖アンナ崇敬」の記事については、「ブルターニュの聖アンナ崇敬」の概要を参照ください。

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