ブラックサタデー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/07 08:36 UTC 版)
ブラックサタデー(Black Saturday)、暗黒の土曜日(あんこくのどようび)
出来事
- キューバ危機の中の1962年10月27日(土)にキューバでアメリカ軍偵察機U-2が撃墜され一触即発の危機に陥った出来事。「暗黒の土曜日」とも呼ばれる。「キューバ危機#暗黒の土曜日」を参照。
- ブラック・サタデー (1983年) - 1983年9月24日(土)にイギリス領香港で発生した金融危機。
- ブラック・サタデー (プロレス) - 1984年7月14日(土)にビンス・マクマホン率いるプロレス団体WWFがスーパーステーションWTBS(現在のターナー・ブロードキャスティング・システム)の毎週土曜夜のテレビ番組放映枠を乗っ取った事件。
- 黒い一月事件 - 1990年1月19日(金)から1月20日(土)にソビエト連邦軍がナゴルノ・カラバフ戦争鎮圧のためアゼルバイジャンの首都バクーに侵攻した事件。英語で「Black Saturday」とも表記する。
- 2009年ビクトリア州森林火災 - 2009年2月7日(土)よりオーストラリア・ビクトリア州で発生した山火事。英語で「Black Saturday bushfires」とも表記する。
- 2010年タイ反政府デモの中の2010年4月10日(土)にタイ王国の首都バンコクで発生した武力弾圧事件。「暗黒の土曜日」とも呼ばれる。「2010年タイ反政府デモ#暗黒の土曜日」を参照。
その他
関連項目
ブラック・サタデー
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「ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング」の記事における「ブラック・サタデー」の解説
1984年7月14日(米国のプロレス業界内で『ブラック・サタデー(黒い土曜日)』と呼ばれる)、ビンス・マクマホンが、彼の当時全国拡大していたWWF(2002年5月にWWEに改名)のために、突然ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングとそのテレビ放映枠を買収した。 マクマホンは二つの大きな要素を過小評価していた。第1には異なる地域のファンの好みの違いであった。WWFのレスリングのスタイルは、GCWのそれとははっきりと異なっていた。第2に、ジョージア州(あるいは南部)のファンは、北部からやってきたヤンキーの会社が彼らのレスリングを占領した、ということに対してひどく憤った。 さらに、新番組『WWFワールド・チャンピオンシップ・レスリング』は、過去にWWFが放映していた番組『WWFチャンピオンシップ・レスリング』や『WWFオール=スター・レスリング』で放映された内容の焼き直しの試合ばかりであった。これに対してWTBSのオーナーのテッド・ターナーは怒り、WTBSのスタジオで新たにオリジナルの試合を組むことをWWFに望んだ。最終的にWWFは不定期にスタジオ収録の試合を番組で放映することになった。この当時、番組のリングアナはフレディ・ミラー、実況放送はゴリラ・モンスーンが務めた。 WWFバージョンとなった番組は、NWA時代に比べて低い視聴率しか得られなかった。その結果、1985年3月、マクマホンはジム・クロケット・ジュニアに土曜日の放送時間枠を売却した。クロケットはノースカロライナ州シャーロットを本拠地としたプロモーターで、ミッドアトランティック地区でNWAブランドの興行を運営していた。彼の団体、ジム・クロケット・プロモーションズがテレビ番組の制作を開始し、番組は『WCWサタデー・ナイト』に改名され、CNNセンターの改装された新しいスタジオ・アリーナで新たに始められた。 なお、GCW株主の残党オレイ・アンダーソンは、1984年7月に新団体「チャンピオンシップ・レスリング・フロム・ジョージア」を旗揚げしWWFに対抗していたが、1985年4月にジム・クロケット・プロモーションズに吸収された。
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