ブラウン政権とは? わかりやすく解説

ブラウン内閣

(ブラウン政権 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 14:01 UTC 版)

ブラウン内閣
イギリス 第93代内閣
成立年月日 2007年6月28日
終了年月日 2010年5月11日
組織
君主 女王エリザベス2世
首相 ゴードン・ブラウン
与党 労働党
議会における地位
影の内閣 キャメロン影の内閣英語版
野党 保守党
野党党首 デーヴィッド・キャメロン
詳細
終了直前の選挙 2010年イギリス総選挙
議会任期 イギリス第54議会
成立させた予算
終了時の連立与党 2010年の組閣英語版
前内閣 第3次ブレア内閣英語版
次内閣 第1次キャメロン内閣

ブラウン内閣(ブラウンないかく、: Brown ministry)は、イギリスの首相ゴードン・ブラウンによって組閣されたイギリス内閣。前首相トニー・ブレアの退陣をうけ、2007年6月27日にブラウンが首相に就任し、翌28日から政権がスタートした。

2008年1月24日、ブラウン首相は内閣改造を実施し、閣僚の多くはブラウン第1次改造内閣へと引き継がれた。

閣僚

役職 画像 大臣 任期
首相
第一大蔵卿
行政機構担当大臣
労働党党首)
ゴードン・ブラウン MP 2007年6月27日 - 2010年5月11日
大法官
司法大臣
ジャック・ストロー MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
財務大臣
第二大蔵卿
アリスター・ダーリング MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
外務・英連邦大臣 デイヴィッド・ミリバンド MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
内務大臣 ジャッキー・スミス MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
枢密院議長
貴族院院内幹事
キャサリン・アシュトン
アップホーランド女男爵
2007年6月28日 - 2010年5月11日
ビジネス・企業および規制改革大臣 ジョン・ハットン MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
児童・学校および家庭大臣 エド・ボールズ MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
コミュニティーおよび地方政府大臣 ヘーゼル・ブリアーズ MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
文化・メディアおよびスポーツ大臣 ジェームズ・パーネル 2007年6月28日 - 2008年1月24日
アンディ・バーナム MP 2008年1月24日 - 2010年5月11日
国防大臣
スコットランド大臣
デス・ブラウン MP 2006年5月5日 - 2010年5月11日
2007年6月28日 - 2010年5月11日
環境・食糧および農村大臣 ヒラリー・ベン MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
保健大臣 アラン・ジョンソン MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
イノベーション・大学および職業技能大臣 ジョン・デナム MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
国際開発大臣 ダグラス・アレクサンダー MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
北アイルランド大臣 ショーン・ウッドワード MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
運輸大臣 ルース・ケリー MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
労働および年金大臣 ピーター・ヘイン MP 2007年6月28日 - 2008年1月24日
ジェームズ・パーネル MP 2008年1月24日 - 2010年5月11日
ウェールズ大臣 ピーター・ヘイン MP 2007年6月28日 - 2008年1月24日
ポール・マーフィー MP 2008年1月24日 - 2010年5月11日
ランカスター公領大臣
内閣府担当国務大臣
エド・ミリバンド MP 2007年6月28日 - 2008年10月3日
財務省主席担当官 アンディ・バーナム 2007年6月27日 - 2008年1月24日
イヴェット・クーパー MP 2008年1月24日 - 2010年5月11日
財務政務次官
庶民院院内幹事
ジェフ・フーン MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
王璽尚書
庶民院院内総務
女性・平等担当大臣
労働党副党首・幹事長)
ハリエット・ハーマン MP 2007年6月28日 - 2010年5月11日
閣議には下記の役職者も出席する
住宅担当国務大臣 イヴェット・クーパー MP 2007年6月28日 - 2008年1月24日
キャロライン・フリント MP 2008年1月24日 - 2010年5月11日
アフリカ・アジアおよび国連担当国務大臣 マーク・マロック=ブラウン男爵 2007年6月28日 - 2010年5月11日
オリンピック担当国務大臣
ロンドン担当国務大臣
財務省主計長官
テッサ・ジョエル MP 2005年7月6日 - 2010年5月11日
2007年6月28日 - 2010年5月11日
2007年6月28日 - 2010年5月11日
児童・青年および家族担当国務大臣
北西担当国務大臣
ベバリー・ヒュー MP 2005年6月17日 - 2010年5月11日
2007年6月28日 - 2010年5月11日
貴族院院内幹事長
近衛隊長
ブルース・グロコット男爵 2007年6月28日 - 2008年1月24日
2002年5月1日 - 2008年1月24日
ジャネット・ロイヤル、
ブレイスドン女男爵
2008年1月24日 - 2010年5月11日
法務長官 パトリシア・スコートランド、
アスタル女男爵
2007年6月28日 - 2010年5月11日

関連項目

外部リンク

先代
第3次ブレア改造内閣
イギリスの内閣
2007年-2008年
次代
ブラウン第1次改造内閣

ブラウン政権 (2007年-2010年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 15:29 UTC 版)

労働党 (イギリス)」の記事における「ブラウン政権 (2007年-2010年)」の解説

2007年5月ブレア正式に退陣表明し6月臨時党大会財務大臣ゴードン・ブラウン後継党首選出された。その後6月27日ブレア首相辞任ブラウンが新首相に就任した。なお、ブラウン党首になった時点での世論調査では労働党支持率一時的に回復し保守党上回った。 しかし、2008年2009年統一地方選挙では保守党相次いで大敗するなど党勢低迷2009年には英政界巻き込んだ経費不正請求スキャンダルにより、ブラウン始め多く議員関与していたことが発覚した2010年総選挙において、労働党改選前と比べ90議席以上を減らして惨敗。しかし、保守党過半数確保には至らず36年ぶりとなる「ハング・パーラメント」(宙ぶらりん議会)に陥った労働党自民党連立協議行った不調に終わり13年ぶりに与党の座を保守党自民党連立政権明け渡した

※この「ブラウン政権 (2007年-2010年)」の解説は、「労働党 (イギリス)」の解説の一部です。
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