一次大戦後、政治家へ転身
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/05 07:56 UTC 版)
「フランツ・フォン・パーペン」の記事における「一次大戦後、政治家へ転身」の解説
第一次世界大戦の敗北後、ドイツ革命により成立したヴァイマル共和政の国軍で働くことを潔しとせず、1919年に中佐を最後に退役。貴族階級の社交クラブ「ヘレンクルプ (Herrenklub)」に参加した。クラブの中では馬術の達人として名の知られた人物だった。 相前後して中央党(カトリック系中道政党)に入党し、1920年にカトリック系労働組合の委員長に就任。保守系の農民組合の指導者であった。1921年にプロイセン州議会議員に当選するも、与党に属するにも関わらず社会民主党(SPD)首班のオットー・ブラウン政権を支持せず不信任案提出を繰り返し、世間の注目を集めるとともに、保守派との親交を重ねる。1925年の大統領選挙でも、自党のヴィルヘルム・マルクスではなくヒンデンブルクを公然と支持した。このため党執行部はパーペンを除名しようとしたものの、党機関紙「ゲルマニア」の大株主で監査役に就任していたため除名に至らなかった。その後も一貫して中央党と社民党の同盟関係を解消し代わりにドイツ国家人民党との連立を主張していたが、1928年に一旦プロイセン州議会議員を辞職、その後暫く社交クラブや紳士クラブでの活動を経て1930年に政界復帰を果たす。1932年4月に十字架と鷲同盟(1933年にはカトリック的ドイツ人活動団と改称)を結成した。
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