ブライスと俳句
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/18 16:27 UTC 版)
「レジナルド・ブライス」の記事における「ブライスと俳句」の解説
イマジズム詩人が関心を示してのち、俳句が英文学において注目されることは第二次大戦までなかったが、戦後、俳句に関し影響力のある書籍が数多く出版されることになった。 1949年にブライスの『俳句Haiku』第1巻が日本で出版され、戦後西洋世界に俳句が紹介された。ブライスは禅、俳句、川柳その他の日本文学、東洋文学に関する書物を執筆したが、中でも重要なものに『禅と英文学Zen in English Literature and Oriental Classics』(1942年)、『俳句』(全4巻、1949-52年、近世の俳句中心だが子規も含む)、『俳句の歴史History of Haiku』(全2巻、1963-64年)がある。今日におけるプライスの最もよく知られた業績は英語圏に俳句を紹介したことである。 今日のブライスに対する見解は分かれる。日本文化普及の功績を評価される一方で、ときにその俳句と禅の説明は一面的であると批判されている。現代の多くの俳句作家はブライスの著作によって俳句の世界に入っており、その中にはジャック・ケルアック、ゲーリー・スナイダー、アレン・ギンズバーグ、J・D・サリンジャーといったサンフランシスコ・ルネッサンス詩人、ビート・ジェネレーション作家らがいる。ジェイムズ・W・ハケットJames W. Hackett、エリック・アマンEric Amann、ウィリアム・J・ヒギンソンWilliam J. Higginson、アニタ・ヴァージルAnita Virgil、ジェイン・ライクホールドJane Reichhold、リー・ガーガLee Gurgaといった国際的俳句詩人の多くもブライスの本によって初めて俳句に接している。それら国際俳人らは、ブライスは近代的主題を持つ俳句を好まず、また日本の俳人が基本的には意識することのない俳句と禅の直接的な結びつき(芭蕉はむしろ俳句に専念することは悟りの妨げになると考えていた。また千代女、蕪村、一茶ら江戸期の俳人の多くは、禅宗ではなく浄土宗・浄土真宗の門徒である)に重きを置きすぎているとしばしば述べている。ブライスはまた女流俳句を好意的に見ておらず、特に芭蕉の同時代と20世紀における女性俳人の役割を過小評価している。800頁を優に超える『俳句の歴史』全2巻中、女流俳句について述べたのは16頁に過ぎず、それら各頁も女性俳人に対する否定的な論評で貫かれている。「女は直感に優れると言われるが、女の思考力が劣るからこそそう言いたくなるのかもしれない。しかし愛国心などと同様、直感では不足である」。明らかに千代女のものと思われる句についても、「この句が千代女の作かは疑問であるが、そもそも女に俳句が詠めるかどうかも疑問である」。 俳句に関する書物を執筆しはじめた当初、ブライスは日本語以外の言語で俳句が詠まれることを予想しておらず、また俳壇の設立も行っていないが、ブライスの著作は英語による作句への強い刺激となった。ブライスは『俳句の歴史』第2巻(1964年)の終わりでこう述べている。「日本国外における、日本語によらない俳句の創作…、俳句の歴史における近年の展開は誰にも予見しえないものであった」。そして1929年生まれでブライスと書簡を交わしていたアメリカ詩人ジェイムズ・W・ハケットによる英語俳句数編を添えている。
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