フランス委任統治以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 14:02 UTC 版)
第一次世界大戦の敗戦によるオスマン帝国の解体後、これまでほぼ個人によってなされていたパルミラの調査・研究が、フランス委任統治当局のもと、1925年より組織的にパルミラ遺跡の発掘調査が行なわれるとともに修復・補強が開始された。1929年にベル神殿の発掘がされるようになると、廃墟を埋めるように占拠していた集落の居住者に代替地を提供し、1932年までの3年間のうちに家屋をほぼ完全に撤去して移住させた。この代替地が、遺跡の北東に隣接するタドモル(パルミラ)の町の始まりである。 1946年にシリア共和国の独立、1961年にシリア・アラブ共和国として再独立した後、1963年になるとパルミラ(タドモル)北近郊に井戸が掘られて水道が整備され、飲料水が確保された。リン酸塩の産出とともに、パルミラの灌漑緑地からはナツメヤシのほか、1977年にはオリーブの実2500トンが輸出され、パルミラ周辺の農園から小麦・大麦3000トン、綿花500トンが産出された。同じく1977年には遺跡を訪れる観光客のためのホテルや博物館(1961年8月6日開館)を擁する観光の町として、3万3000人が宿泊し、1万人が博物館を訪れ、1980年には「パルミラの遺跡」としてユネスコの世界文化遺産に登録された。1950年代の町の人口は数千人であったが、1982年には約3万人となった。
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