フランス宮廷へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 22:53 UTC 版)
「エリザベート・シャルロット・ド・バヴィエール」の記事における「フランス宮廷へ」の解説
1671年11月21日、フランス王ルイ14世の弟、オルレアン公フィリップ1世と政略結婚した。フィリップ1世は前妻アンリエット(エリザベートの従叔母)と前年の1670年に死別していたが、同性愛者としても知られる人物であった。エリザベートは元々フィリップ1世との結婚を望んでおらず、フランスからプファルツへの脅威を和らげたい父の意向で結婚が決められたので、結婚生活は不幸なものになった。結婚に際してプロテスタントのカルヴァン派からカトリックへの改宗を強いられたことも不満で、そのことで兄とも仲が悪くなった。それでも2人の間には3人の子供が生まれたが、本来の意図だったプファルツの中立はフランスに無視され、仏蘭戦争でフランス軍がプファルツに侵略したことで父は神聖ローマ皇帝レオポルト1世に味方してフランスと敵対した。 義兄ルイ14世からは率直な性格と狩猟・コメディ・オペラなど共通の趣味があったことから気に入られ、宮廷で田舎育ちと嘲笑される中でルイ14世と友情を持って接した。1674年にルイ14世の愛妾であったルイーズ・ド・ラ・ヴァリエールがカルメル会修道院に入る際には、2人の子供ルイとマリー・アンヌを託され養育、その後も何度かルイーズを見舞い、託された子供達の成長を告げている。一方でルイーズを追い落としたルイ14世の別の愛妾モンテスパン侯爵夫人やマントノン侯爵夫人とは仲が悪く、とりわけマントノン侯爵夫人には知人宛の手紙で痛烈な批判を浴びせた。
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