フランス委任統治と独立後のラッカ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:45 UTC 版)
「ラッカ」の記事における「フランス委任統治と独立後のラッカ」の解説
第一次世界大戦後、この一帯がフランス委任統治領シリアとなると行政府の建物が作られた(現在のラッカ博物館)。1946年のシリア独立後の1950年代には朝鮮戦争で世界的な綿花景気が発生するとラッカの農業は前例のない成長を見せ、ユーフラテス川中流域の再耕地化が進んだ。以来、綿花はラッカ地方の主農産物である。都市の成長は一方で、残っていた古代や中世の廃墟が掘り返されて失われてしまうことも意味した。アッバース朝の宮殿だった場所は現在ほとんど住宅地化し、古代・中世のラッカ市街地(現在のミシュラブ地区 Mishlab)やアッバース朝時代の工房地区(現在のアル=ムフタルタ地区 al-Mukhtalţa)も宅地化してしまい、発掘は部分的にしか行われていない。12世紀の城塞は1950年代に撤去され現在では時計塔のある広場 (Dawwār as-Sā'a) になっている。1980年代に入り、宮殿地区の緊急発掘とアッバース朝時代の市壁やモスク、バグダード門、記念碑、カスル・アル・バナートなどの保存が始まっている。
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