フス派の台頭とは? わかりやすく解説

フス派の台頭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 23:56 UTC 版)

ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)」の記事における「フス派の台頭」の解説

教会大分裂終息のため公会議提案実現近付く中、ボヘミア王としてウィクリフ思想支持するヤン・フスとその支持者保護したが、1403年プラハ大司教就任したローマ派のズビニェク・ザイーツがウィクリフ派(後のフス派)を摘発し始めると、1408年7月にザイーツへ圧力をかけプラハ異端存在しない虚偽発表をさせた。これにはピサ教会会議開催合わせた政治的思惑絡んでおり、ヴェンツェル教会会議中立という形で支持する見返りローマ王復帰約束させ、教会会議手を組む関係上国内に異端がいるというのは都合が悪いため、ウィクリフ派には見て見ぬふり決め込んでいたのであるプラハ大学にいるウィクリフ派が中立支持していたという事情もあり、大学支持背景中立を貫く計算働いていた。 だが、ザイーツ大司教ローマ教皇グレゴリウス12世支持表明ウィクリフ派の牙城化したプラハ大学対立プラハ大学内部でもボヘミア外の教授・学生などで構成された「ドイツ国民団」がボヘミア出身の「ボヘミア国民団」と対立していた。ヴェンツェル1409年クトナー・ホラボヘミア国民団に有利な裁定下しクトナー・ホラ勅令)、反発したドイツ国民団を追放(彼らは後にライプツィヒ大学へ移る)、1410年ウィクリフ派の台頭恐れたザイーツが亡命し表面的にボヘミア平穏になった。同年ループレヒト死去それに伴いジギスムントヨープストローマ王立候補したが、翌1411年ヨープスト亡くなったためジギスムントローマ王選出された。 状況一変したのは1412年ピサ対立教皇ヨハネス23世ピサ教会会議選出されアレクサンデル5世1410年死去)がナポリ王ラディズラーオ1世討伐のため、プラハ贖宥状販売してからである。大学有力者になっていたフス贖宥状販売やそれを行ったヨハネス23世非難したため、教皇から破門されフス庇い切れない悟ったヴェンツェルフスプラハ退去言い渡したフス去った後もヴェンツェル大学内紛収めるべく調停試みた失敗1414年になるとヨハネス23世から異端問題解決しなければ十字軍派遣も辞さずという脅迫書状送られボヘミア徐々にヨーロッパから孤立していった。 ジギスムントフス交渉した末にフスコンスタンツ公会議に赴きボヘミア旅立ったが、公会議裁判引き立てられフス1415年処刑されると、ボヘミアフス支持者ウィクリフ派)は憤慨してフス派形成カトリックとの対立強めていった。ヴェンツェル異端排除切望するジギスムント新教マルティヌス5世圧力受けて右往左往していたが、1419年2月ジギスムントらに譲歩しプラハ教会カトリック返還フス派教会3つしか残さないとする決定下した。これが引き金となり、7月30日激怒したフス派起こした第一次プラハ窓外投擲事件契機に、ボヘミアフス戦争へと突入していく。ヴェンツェル事件知らせ聞いてショック卒中起こし8月16日死んでしまった。58歳だった。 1370年バイエルン公アルブレヒト1世ローマ皇帝ルートヴィヒ4世の五男)の娘ヨハンナ1362年頃 - 1386年)と結婚し死別1389年ヨハンナ従兄バイエルン=ミュンヘンヨハン2世アルブレヒト1世の甥)の娘ゾフィー1376年 - 1428年)と再婚したいずれの結婚でも子が得られず、ヴェンツェル死後ジギスムント相続人となったが、ボヘミアにはフス戦争長い間入れず、彼が名実共にボヘミア王なるにはフス戦争終結後1436年でかかった

※この「フス派の台頭」の解説は、「ヴェンツェル (神聖ローマ皇帝)」の解説の一部です。
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