フィクションにおける沖田総司
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「沖田総司」の記事における「フィクションにおける沖田総司」の解説
「新選組#新選組を主題にした作品」および「Category:新選組を題材とした作品」も参照 フィクションにおける沖田像は、森満喜子が指摘するように、「天才的といわれるすぐれた剣技の持ち主であったこと」「きわめて明朗な性格であったこと」「肺結核を患っていたこと」が不可欠の要素であったとされている。1970年以降は「薄幸の天才美剣士」「純粋」「透明」な存在として描かれてきた。この沖田像は司馬遼太郎によって創造されたとしばしば指摘される。沖田在世時の記録には沖田の容姿が秀でたものであると描写したものはほとんどなく、子母澤寛の『新選組三部作』にもその要素は描かれていない。 沖田が映画に登場したのは1928年9月に公開された『維新の京洛』で、翌年には月形陽候主演の『剣士・沖田総司』が公開されている。1930年の『大殺生』では春見堅太郎が沖田を演じた。永田哲朗はこの二作によって沖田が美男子であるイメージが構築されたとしている。史実の沖田が遊郭にほとんど出入りせず、女遊びをしなかったということや、不治の病である肺病を患っていたという点も、「純愛」や「薄幸」のイメージを増幅した。1937年、沖田の墓が発見されたという記事が『都新聞』に掲載されたが、沖田は「白皙の美剣士を誇る大衆文芸の主人公を地で行った宿命の若き剣士」と表現されている。 昭和40年代に司馬遼太郎が描いた新選組作品では、沖田は「さわやか」な「透明感を与える清潔な好青年」で「無垢な明るさ」を持つ美剣士であると認識された。映像化作品でも、『新選組血風録』や『燃えよ剣』で島田順司演じる沖田が高い人気を博した。一方で司馬は新選組自体を「病的な美意識」と出世権威主義で動いていたと批判的に見ており、沖田についても斬る対象を憐れみながら、斬る日を楽しみにしていたり、自分が殺害した間者の隣で祇園祭の鉾を無邪気に眺めながら刀を拭うという「ふしぎな若者」としても描写されている。 現在でも多数の映画・ドラマ・アニメなど映像メディアにおいてもほぼ常に若手二枚目俳優が演じるか二枚目に描かれている。つかこうへいは沖田を女性に設定した小説『幕末純情伝』や『竜馬伝』を書き、戯曲化している。その一方、『ゼロ THE MAN OF THE CREATION』では新選組の映画撮影で悩んでいた監督がゼロの元へと依頼に行き、最終的にヒラメ顔の役者を起用することでリアリティを出すという、「沖田=二枚目」を否定した作品も存在する。 また、子母澤寛の『新選組始末記』以降に定着した「池田屋での戦闘中に激しく喀血し、倒れ込む」描写は「新選組に斬られた浪士が階段を転げ落ちる」シーンとともに多く見られる。渡辺多恵子の漫画『風光る』や2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』では、近江屋事件(坂本龍馬暗殺)の直前まで沖田が新選組として活動しており、近年の説に沿った描写となっている。
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