ファロレ大統領 / テロ対策と内政整備の時代とは? わかりやすく解説

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ファロレ大統領 / テロ対策と内政整備の時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 03:37 UTC 版)

プントランドの歴史」の記事における「ファロレ大統領 / テロ対策と内政整備の時代」の解説

2009年1月選挙の結果マジェルテーン支族出身63歳アブドゥルラフマン・モハムード・ファロレ大統領になった。ファロレはオーストラリアラ・トローブ大学歴史学のPh.D.を取った人物で、外務担当長官としてムセ政府入閣していたが、プントランドにおける石油採掘ムセ大統領対立して2006年プントランド去っていた。今回は、多く政治団体からの要望帰国し選挙臨んだのだった。ファローレ大統領就任直後に「100日の報告政策発表し就任後100日間地方巡行し、地方自治海賊対策力を入れることを誓った。 なお、ファロレ大統領はイセ・マハムード氏族出身だったので、これでプントランドで最も勢力を持つ3氏族、オマル・マハムード、オスマン・マハムード、イセ・マハムードからそれぞれ大統領出たことになる:2602009年5月22日プントランド社会福祉庁が発足したプントランドに住む国内避難民孤児院救済なども目的にしており、2009年には9億6000ソマリア・シリング3.2万米ドル)の予算付けられた。 2009年6月プントランド複数政党制導入することを骨子とした新憲法草案が、プントランド議会賛成多数可決された。もっとも「政党といって実質的に氏族集団であり、議席数が氏族ごとに勢力に応じて割り当てられる制度であった:257プントランド治安まだまだ悪く2009年8月から2010年1月の間に、政府高官5人が暗殺されている。一方で氏族間の抗争少しずつ終息向かった例えバリ地区のイグデイズ渓谷(Igdhays)で起こった紛争では死者30人多数負傷者出たが、プントランド政府介入2009年10月22日和平合意されている。さらに2010年6月にはカルドで7人が死亡する戦闘が行われたが、プントランド政府軍投入して戦闘停止させている。 2010年5月には、プントランド建国以来遅配続いていた公務員給与が、毎月一貫して支払われるようになった2010年7月16日プントランド自治長官は、プントランド内閣新しテロ対策法を閣議決定したと発表した。主にイスラームテロ組織アル・シャバブ対策とみられている。 2012年1月カナダのアフリカオイル社(Africa Oil Corp)がプントランド石油試掘開始したソマリア地下資源乏しいが、隣国エチオピアケニアから石油掘られていることから、石油取れると期待されている。この時はダロール渓谷英語版付近掘られている。もっとも、まだ実際に石油は見つかっておらず、見つかったとしてもソマリア中央政府プントランド政府のどちらに所有権があるのか今のところ明確ではない。 2012年4月15日プントランド新憲法正式に発足した

※この「ファロレ大統領 / テロ対策と内政整備の時代」の解説は、「プントランドの歴史」の解説の一部です。
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