ファロレ大統領 / テロ対策と内政整備の時代
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「プントランドの歴史」の記事における「ファロレ大統領 / テロ対策と内政整備の時代」の解説
2009年1月、選挙の結果、マジェルテーン支族出身で63歳のアブドゥルラフマン・モハムード・ファロレが大統領になった。ファロレはオーストラリアのラ・トローブ大学で歴史学のPh.D.を取った人物で、外務担当長官としてムセ政府に入閣していたが、プントランドにおける石油採掘でムセ大統領と対立して2006年にプントランドを去っていた。今回は、多くの政治団体からの要望で帰国し選挙に臨んだものだった。ファローレ大統領は就任直後に「100日の報告」政策を発表し、就任後100日間で地方を巡行し、地方自治と海賊対策に力を入れることを誓った。 なお、ファロレ大統領はイセ・マハムード氏族出身だったので、これでプントランドで最も勢力を持つ3氏族、オマル・マハムード、オスマン・マハムード、イセ・マハムードからそれぞれ大統領が出たことになる:260。 2009年5月22日、プントランド社会福祉庁が発足した。プントランドに住む国内避難民や孤児院の救済なども目的にしており、2009年には9億6000万ソマリア・シリング(3.2万米ドル)の予算が付けられた。 2009年6月、プントランドに複数政党制を導入することを骨子とした新憲法草案が、プントランド議会で賛成多数で可決された。もっとも「政党」といっても実質的には氏族集団であり、議席数が氏族ごとに勢力に応じて割り当てられる制度であった:257。 プントランドの治安はまだまだ悪く、2009年8月から2010年1月の間に、政府高官5人が暗殺されている。一方で氏族間の抗争は少しずつ終息に向かった。例えばバリ地区のイグデイズ渓谷(Igdhays)で起こった紛争では死者30人と多数の負傷者が出たが、プントランド政府の介入で2009年10月22日に和平合意されている。さらに2010年6月にはカルドで7人が死亡する戦闘が行われたが、プントランド政府軍を投入して戦闘停止させている。 2010年5月には、プントランド建国以来遅配が続いていた公務員の給与が、毎月一貫して支払われるようになった。 2010年7月16日、プントランドの自治長官は、プントランド内閣が新しいテロ対策法を閣議決定したと発表した。主にイスラームテロ組織のアル・シャバブ対策とみられている。 2012年1月、カナダのアフリカオイル社(Africa Oil Corp)がプントランドで石油の試掘を開始した。ソマリアは地下資源が乏しいが、隣国のエチオピアやケニアから石油が掘られていることから、石油が取れると期待されている。この時はダロール渓谷(英語版)付近が掘られている。もっとも、まだ実際には石油は見つかっておらず、見つかったとしてもソマリア中央政府とプントランド政府のどちらに所有権があるのか今のところ明確ではない。 2012年4月15日、プントランドの新憲法が正式に発足した。
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