ファビウス:用心深いのか天才か?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 13:52 UTC 版)
「アゲル・ファレルヌスの戦い」の記事における「ファビウス:用心深いのか天才か?」の解説
ファビウスがローマ陸軍の司令官となったとき、兵の半数は新兵で、残りの半数もハンニバルに対する敗戦の生き残りであり、殆ど自信を持っていなかった。カルタゴ陸軍はベテラン兵とローマ陸軍に対する優位性を保持していた。ハンニバルは3回連続してローマ軍を撃破しており、ファビウスは4回目にはなりたくなかった。戦闘を避けることは当時の情勢では堅実なものであった。ファビウスが自身の戦略に固執した理由としては、以下が考えられている。 戦いを避けることで、ハンニバルは戦闘においてローマ軍を撃破することが不可能となる。ローマ軍は無傷のままで、他方ハンニバルの戦争目的を妨害することができる。ハンニバルは勝利を重ねることによって、イタリア内のローマ同盟都市を同盟から離脱させる必要があった。負けないことによって、ファビウスはハンニバルの目的を妨害し、またハンニバルの戦術的優位性(戦闘が発生すればローマ軍を撃破できる)を失わせた。 ローマ軍には十分な補給があったが、カルタゴ軍は本国を離れて自活しなければならなかった。ハンニバルが通過する地域のローマおよびイタリア諸都市に対して食料・飼料を破棄するように命じ、ハンニバルが補給不足により常に移動せざるを得なくした。このローマ人が言う「敵の腹を蹴る」戦略によって、ファビウスは戦うことなくハンニバルを消耗させていった。 以前はカルタゴ領土であったサルディニアとシチリアがローマ領となったためローマはここから穀物を輸入・徴発することができた。ハンニバルは軍を維持するに当たり、そのようなシステムを有していなかった。しかしローマ・イタリア市民が焦土作戦を十分に実行しなかった可能性はある。 確固たる補給システムが無かったため、ハンニバルは軍のかなりの部分を分離して周囲の略奪や食料の確保を行うことを強いられた。また同時にローマ軍の奇襲に備えて野営地を防御する兵も確保する必要があった。他方ファビウスは時間にも場所にも制限を受けず、戦略的主導権を取ることができた。この脅威のために、ハンニバルは食糧確保の兵士数を制限せざるを得ず、供給は不十分となり、また孤立したカルタゴ軍に時と場所を選んでローマ軍が攻撃をかける機会を与えた。 ファビウスの後ろにはローマ本国が控えていたが、ハンニバルは兵力の増強は期待できなかった。ローマの警戒部隊は食料調達に出てきたカルタゴ軍に嫌がらせ攻撃をかけており、兵力は徐々に減少していった。ファビウスは物品を失っても補充できるが、他方敵国の中をさまよっているハンニバルにはそれはできない。ファビウスが持久戦略を続けることによって、ローマ兵の自信と能力は向上していった。 ファビウスが彼の戦略に対するローマ市民の反応を考慮していたかは不明である。ハンニバルの脅威だけでなく、ファビウスはこの消極戦略に対する市民の怒りや憤りに対処する必要があった。宗教行事を行うためにファビウスは少なくとも2回ローマに戻っているが、これは彼の戦略を市民に説明するためでもあった。 要約すると、ファビウスの用心深さは紀元前217年の時点でハンニバルに対する戦略としては最良のものであった。この期間における彼の役割は、後には「ローマの盾」と賞賛されることになる。
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