持久戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 06:23 UTC 版)
後の第一次ポエニ戦争におけるハミルカル・バルカ、第二次ポエニ戦争におけるクィントゥス・ファビウス・マクシムスは、数に勝る敵に決戦を求めず、敵の近くに野営し、会戦をさけて小競り合いを続けるという戦略を取り、共に成功を収めている。紀元前406年のカルタゴ遠征軍に対しても、ギリシア軍はカルタゴ軍の補給線に対して嫌がらせ攻撃を続け、カルタゴ軍を崩壊寸前に追い込んだ(結果としては失敗したが)。カルタゴ軍に兵力で劣るディオニュシオスも同様な持久戦略をとった。ディオニュシオスはカルタゴ軍野営地の近くに野営はするが戦闘は行わず、シケル兵がカルタゴ軍補給線に対する嫌がらせ攻撃を行った。
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持久戦略
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 06:30 UTC 版)
不敗を狙って戦力温存と長期戦を実行する。防勢戦略に相当し、劣勢な軍事力をもって現状の劣位を縮小しようとする。
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