物語中の沮授
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/27 13:16 UTC 版)
小説『三国志演義』における沮授は、当初は韓馥の部下だったことについて触れられていない。ほぼ史実と同様の顛末を辿っており、悲劇の参謀として散っていった様子が描かれている。ただ曹操との戦いでは、持久戦略が袁紹に受け入れられなかったことに不満を抱き、他の諸将と連携しようとしない場面もある。 官渡の戦いでは、持久戦術を説いたものの、受け入れられずに拘禁されてしまう。さらに獄中から、不吉な星の出現について袁紹に知らせたが、これも無視されている。袁紹の敗戦後、曹操の降伏勧告に従わず死を選ぶのは、史実の通りである。また、曹操が「忠烈沮君之墓」と記した墓碑を黄河の渡し場に立てて、その死を悼む場面が描かれている。
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