ピッケット隊がファイブフォークスに後退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 00:17 UTC 版)
「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の記事における「ピッケット隊がファイブフォークスに後退」の解説
ピケットは午後9時から10時の間に、バートレットの旅団がシェリダン軍の補強に向かっており、自隊は北軍歩兵部隊の攻撃にその側面を曝すことになることを知ると、自隊の位置づけが維持できないと認識した。このためにピケットは午前5時までにファイブフォークスに後退し、シェリダン軍を攻撃すれば得られたかもしれない利点を諦めることになった。バートレット隊はグリフィンとクロウフォードの全師団の前衛部隊に過ぎず、その夜遅くに行軍を始め、その部隊とシェリダン軍との間にピケット隊を挟むはずだった。このために南軍は降伏するか西に逃げるかという選択肢以外与えられないことになった。ピケット隊の後退でファイブフォークスとサウスサイド鉄道を守るという機会を与えられた。 シェリダンが南軍は後退していると分かったとき、大半が下馬したままのカスター師団を左手に、乗馬したままのデビンの師団を右手に追撃させた。クルックの軍団から大砲数門とグレッグの旅団がその支援に前進した。シェリダンは前述のように間違った情報を得ていたので、第5軍団が南軍の後方とほとんど側面に居り、それ故に第5軍団がピケット隊に早期に厳しい攻撃を掛けられるものと思い込んでいた。シェリダンは歩兵部隊の攻撃の支援が無ければ、その騎兵師団のみで攻撃を掛けさせられなかった。 南軍は緩りとした後退と狭い道路のためにファイブフォークスに到着したのは午前も半ばに達したときだった。南軍がファイブフォークスに到着したとき、その塹壕の左、すなわち東方に走る前線の返りを構築するなど、塹壕や防御工作の改良を始めた。ピケットは左側面の改良に注意を向ける一方で、その部隊がファイブフォークスに当初到着したときに構築していた土盛り工作を、ディンウィディ・コートハウスから戻った時は改良しようとしなかった。防御線を前面に浅い溝を掘った細い松材で構築しただけでなく、ピケットの部隊配置はお粗末だった。特に騎兵隊は激しい水流に浸水された森のある地域に配置されたので、狭い道を通って前面に出られるだけだった。 ピケット隊がファイブフォークスに戻った後、ファイブフォークスを「如何なる犠牲を払っても」保持せよというロバート・E・リーの命令を受け取ったと見られている。歴史家のエドワード・ロングエーカーはこの話がピケットの未亡人ラ・サール・コルベール・ピケットから得られたとしており、ピケットの経歴のエピソードに関する彼女の仮定的な証言から得ていた。ロングエーカーは、電報の写しが見つかっていないと言っている。またピケットの報告書では、リーがファイブフォークスから7マイル (11 km) にある「フォードの駅に至る道路を守るように」その陣地を守れと命令してきたことと、ピケットがその部隊のためにリーに陽動行動を行ってくれるよう依頼したと言っているだけであるとも記している。ロングエーカーは、多くの歴史家がリーの話を言葉通りに受け入れたのだと認識している。
※この「ピッケット隊がファイブフォークスに後退」の解説は、「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の解説の一部です。
「ピッケット隊がファイブフォークスに後退」を含む「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の記事については、「ディンウィディ・コートハウスの戦い」の概要を参照ください。
- ピッケット隊がファイブフォークスに後退のページへのリンク