ヒトラーとの対決
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「オットー・シュトラッサー」の記事における「ヒトラーとの対決」の解説
シュトラッサー兄弟の出版活動はライバル誌であるゲッベルスの『攻撃(Der Angriff)』誌との激しい対立を生み、双方の読者間の乱闘騒ぎにまで発展していた。『闘争出版社(Kampfverlag)』がヒトラーにとって目障りで脅威の存在となっていたことはいうまでもない。こうして、1930年1月、ヒトラー、グレゴール、オットー、ヒンケル(de:Hans Hinkel)の会談がヘスやアマンも交えて開かれた。 ヒトラーは、出版活動の自粛と『闘争出版社』を買い取る意向を示した。軟化した態度を示すグレゴールの方は示談にのろうとするが、オットーは激しく反対しヒトラーと論争に至った。 オットー「ヒトラーさん、我々は騙されませんぞ。問題は出版社ではない。問題は政治です。我々が以前から社会主義の立場に立ち、左ばかりでなく右の方にも敵を見出だすものであることは、御存知の通りです。反マルクス主義だけを説いて、資本主義や反動に対しても同じ精力をもって反抗しない限り『民族物見(Völkischer Beobachter)』の政治は片手落というものです。」怒るヒトラー「このようなナショナル・ボルシェヴィズムの思想を俺は間違いなく禁じたはずだ。」 会話の模様は10年前に初めて2人が顔合わせした折と少しも変わっていなかった。2人の会話は平行線を辿り、さすがのヒトラーももてあまし、オットーとヒンケルに対して議員候補の席を提供した上にオットーのいい値で出版社を買い取る提案までしたが、結局話は不調に終わった。 この頃オットーは、「俺は運動の便所掃除夫のような気がするよ」と弱音を吐くグレゴールのなげやりな自嘲的態度が気になっていた。そうかと思うと、グレゴールは強気をみせることもあった。オットーが彼に対して、「我々は社会主義者だが、ヒトラーはすでに資本家どもと協定している。我々は共和派だが、ヒトラーは諸侯らと手を組んでいる。我々は自由主義的で自分たちの自由を要求するが、また他人の自由も尊重する。これに反してヒトラーは、側近らにヨーロッパの支配について語っている。我々はキリスト教徒だ。ヒトラーは無神論者だ・・・。」と、ヒトラーとの折り合えぬ対立点を列挙して兄に早くヒトラーと手を切るよう迫ると、帰ってくる返事はいつもと同じく「落馬してたまるか。俺があいつを飼い慣らしてやるさ」という具合だった。しかし、初め自信満々に発言していたグレゴールのこの言い慣らされた言葉もこの頃になると、どこか虚ろな自分自身に言い聞かせる自己暗示的な言葉と化していた。1928年の選挙以降、彼は思想は変わらぬも昔日の闘士から妥協の政治家と化し、ヒトラーのカリスマ的個性を前にして既に政治的死人と化していた。
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