バラタナーティヤム
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 17:42 UTC 版)
「デーヴァダーシー」の記事における「バラタナーティヤム」の解説
インド伝統の舞台芸術として知られるバラタナーティヤムの名称は、1930年に使われるようになった。デーヴァダーシー出身のカリヤーニ姉妹の舞踊をバラタナーティヤムの名で舞台で上演したのが始まりである。19世紀タンジョール宮廷の楽師の四兄弟によって確立された舞踊を核とするとされ、デーヴァダーシー以外の男性的な伝統舞踊の影響もみられる。 当時のインドでは、支配者であるイギリスに対し誇れる文化があることを証明しようと、ナショナリズム的に伝統文化の復興が盛り上がっており、西洋のバレエとも比べうるインド舞踊の確立が急がれていた。弁護士で社会活動家のE・クリシュナ・アイヤー(英語版)によって、バラタナーティヤムが評価されるようになり、芸術一家出身の舞踊家バラサラスワティ(英語版)、上層カースト出身で神智学協会のルクミニー・デーヴィー・アルンデール(英語版)らの尽力で再構成され復興した。ルクミニー・デーヴィーはバレエに範をとり、舞踊学校を設立し、一般家庭の女子が舞踊を学ぶようになった。 インド古典劇復興は神智学協会の神智学運動から発生しており、聖なるものを近代化・大衆化させるプロセスは神智学協会が思想において行ったことと同様である。教育機関という開かれた近代的組織において教授されることで、師から弟子への伝承の伝統は消滅し、宗教的な文脈は解体され、大衆化し誰にでも教えることで神と人との仲立ちの役割は失われた。高カーストの子女のお稽古事になり、お披露目会は花婿候補とその家族を招待し、アピールする場ともなっている。お披露目会は芸能プロダクションからも注目され、これをきっかけにデビューする女優も少なくない。バラタナーティヤムは近代化・世俗化の道をたどったことで、デーヴァダーシーと全く異なるものに変質している。
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