バスの営業開始と鉄道廃止の申請
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 14:50 UTC 版)
「防石鉄道」の記事における「バスの営業開始と鉄道廃止の申請」の解説
兼営事業としてバスの営業を始めることになり、1933年12月八坂自動車株式会社から営業権と自動車の譲渡を受け三田尻 - 地福間と八坂 - 山口間に乗合バスの営業を開始した。 その後大株主であった広島瓦斯電軌(現在の広島ガス・広島電鉄)が所有する株の8割を神戸市の太陽産業(鈴木商店)に譲渡する事件が起きた。その太陽産業は防石鉄道の軌条を羽幌炭鉱鉄道に転用する計画をもっていた。そこで社長の狩野蔵次郎は軌条その他を鉄価高騰という機会に処分し債務の支払いに充てることを考えた。そして鉄道部門を廃止し、バス部門にすることとして1939年7月鉄道運輸営業廃止申請書を鉄道大臣あて提出した。ただこれは日中戦争のさなかで認められず、その後太陽産業の援助と政府の補助により鉄道運輸営業を続けることとなり、廃止申請書は1940年2月に取下げることになった。 1914年(大正3年)5月3日 石三軽便鉄道株式会社として設立 1914年(大正3年)10月29日石三鉄道株式会社に社名変更 1916年(大正5年)5月29日 防石鉄道株式会社に社名変更 1933年(昭和8年)12月バス事業を兼営とする。 1964年(昭和39年)7月1日 鉄道事業を廃止、バス会社となる 1992年(平成4年)4月1日 防長交通に吸収合併され消滅 貸切バス(塗装は防長交通と同じ) 路線バス(貸切バス格下げ) 防石鉄道復刻ラッピングバス(防長交通移管後)
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