トム・ロルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/19 05:44 UTC 版)
トム・ロルフ Tom Rolf |
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別名義 | Ernst R. Rolf | ||||||||
生年月日 | 1931年12月31日 | ||||||||
没年月日 | 2014年7月14日(82歳没) | ||||||||
出生地 | ![]() |
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職業 | 編集技師 | ||||||||
ジャンル | 映画 | ||||||||
活動期間 | 1959年 - 2008年 | ||||||||
主な作品 | |||||||||
『フレンチ・コネクション2』 『タクシードライバー』 『ブラック・サンデー』 『ウォー・ゲーム』 『ナインハーフ』 『ブラック・レイン』 『ペリカン文書』 『ヒート』 『リベリオン』 |
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トム・ロルフ(Tom Rolf、1931年12月31日 - 2014年7月14日)は、スウェーデンの編集技師。アメリカ映画編集者協会(A.C.E.)会員[1]。スウェーデンストックホルム出身。
主な編集作品
- 地下組織 Underground (1970)
- マッケンジー脱出作戦 The McKenzie Break (1970)
- さらば荒野 The Hunting Party (1971)
- ロリ・マドンナ戦争 Lolly-Madonna XXX (1973)
- キャット・ダンシング The Man Who Loved Cat Dancing (1973)
- サファリの英雄 Visit to a Chief's Son (1974)
- ザ・トライアル・オブ・ビリー・ジャック The Trial of Billy Jack (1974)
- フレンチ・コネクション2 French Connection II (1975)
- ラッキー・レディ Lucky Lady (1975) - クレジットなし
- タクシードライバー Taxi Driver (1976)
- ブラック・サンデー Black Sunday (1977)
- ハードコアの夜 Hardcore (1979)
- プロフェシー/恐怖の予言 Prophecy (1979)
- 天国の門 Heaven's Gate (1980)
- ゴースト・ストーリー Ghost Story (1981)
- ウォー・ゲーム WarGames (1983)
- ライトスタッフ The Right Stuff (1983)
- ナインハーフ Nine 1/2 Weeks (1986)
- クイックシルバー Quicksilver (1986)
- 張り込み Stakeout (1987)
- ブラック・レイン Black Rain (1989)
- ジェイコブス・ラダー Jacob's Ladder (1990)
- スニーカーズ Sneakers (1992)
- 心のままに Mr. Jones (1993)
- ペリカン文書 The Pelican Brief (1993)
- デンジャラス・マインド/卒業の日まで Dangerous Minds (1995)
- ヒート Heat (1995)
- デビル The Devil's Own (1997)
- モンタナの風に抱かれて The Horse Whisperer (1998)
- ウインドトーカーズ Windtalkers (2002)
- リベリオン Equilibrium (2002)
受賞歴
- 受賞
- 1984年 第56回アカデミー賞:編集賞『ライトスタッフ』
- 1984年 アメリカ映画編集者協会 エディー賞:長編映画編集賞『ウォー・ゲーム』
- 2003年 アメリカ映画編集者協会 生涯功労賞
- ノミネート
脚注
- ^ “Member Roster”. アメリカ映画編集者協会. 2012年9月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月24日閲覧。
外部リンク
トムロルフ
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トムロルフ | |
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欧字表記 | Tom Rolfe |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 鹿毛 |
生誕 | 1962年 |
死没 | 1989年 |
父 | リボー |
母 | ポカホンタス II |
生国 | ![]() |
生産者 | R.Guest |
馬主 | Powhatan |
調教師 | Frank Y. Whiteley, Jr.(アメリカ) |
競走成績 | |
生涯成績 | 32戦16勝 |
獲得賞金 | 67万1297ドル |
トムロルフ(Tom Rolfe、1962年 - 1989年)はアメリカの競走馬。父リボーがアメリカで残した最良の産駒の一頭である。母ポカホンタスは19世紀の大繁殖牝馬ポカホンタスと同名で、ともに人物名ポカホンタスに由来する。本馬はそのポカホンタスの一人息子トマス・ロルフから連想され、トムロルフと名付けられた。
トムロルフは31戦のうち16の競走に勝ち、67万ドルの賞金を獲得した。3歳のときにはその年の最優秀3歳牡馬に選ばれ、アメリカの殿堂騎手ロン・ターコットの騎乗でプリークネスステークスに優勝した。さらに、その年の末には自身の能力を証明するためにフランスの凱旋門賞に出走した。結果は6着に終わったが、史上最強メンバーと呼ばれる凱旋門賞で、恵まれない臨戦態勢にもかかわらずシーバードの6着というのは好走の部類に入るだろう。
ケンタッキー州のパリス郊外にあるクレイボーンファームで種牡馬入りし、種牡馬としても成功した。今日では優秀な母の父として知られている。直仔で代表的なのはホイストザフラッグであった。
トムロルフは1989年に死亡し、牧場のマーチモント墓地に埋葬された。
競走成績
- 1964年(10戦3勝)
- カウディンステークス
- 3着 - フューチュリティステークス
- 1965年(13戦9勝)
- プリークネスステークス、サイテーションハンデキャップ、シカゴアンステークス、アーリントンクラシックステークス、アメリカンダービー
- 2着 - ベルモントステークス
- 3着 - ケンタッキーダービー
- 1966年(9戦4勝)
- アケダクトハンデキャップ、サルヴェーターマイルハンデキャップ
主な産駒
- ランザガントレット(ワシントンDCインターナショナル、マンノウォーステークス、ユナイテッドネイションズステークス)[1]
- ボウルゲーム(ワシントンDCインターナショナル、マンノウォーステークス、ガルフストリームパークハンデキャップ)
- ドロールロール(ワシントンDCインターナショナル)
- ホイストザフラッグ
- アレミロード(オイロパ賞)
- フレンチコロニアル
血統表
トムロルフの血統リボー系・9号族(9-h) / Papyrus 4×5=9.38%、Buchan 5×4=9.38%、Phalaris 5×5=6.25% | (血統表の出典) | |||
父
Ribot 1952 鹿毛 |
父の父
Tenerani1944 鹿毛 |
Bellini | Cavaliere Darpino | |
Bella Minna | ||||
Tofanella | Apelle | |||
Try Try Again | ||||
父の母
Romanella1943 栗毛 |
El Greco | Pharos | ||
Gay Gamp | ||||
Barbara Burrini | Papyrus | |||
Bucolic | ||||
母
Pocahontas II 1955 黒鹿毛 |
Roman 1937 鹿毛 |
Sir Gallahad | Teddy | |
Plucky Liege | ||||
Buckup | Buchan | |||
Look Up | ||||
母の母
How1948 黒鹿毛 |
Princequillo | Prince Rose | ||
Cosquilla | ||||
The Squaw | Sickle | |||
Minnewaska F-No.9-h |
脚注
外部リンク
トムロルフ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/18 16:46 UTC 版)
トムロルフは、アメリカの駐アイルランド大使を勤めるレイモンド・ゲスト氏(en:Raymond R. Guest)の所有馬で、この年のアメリカの3歳馬の中では最も優れた馬だった。トムロルフはアメリカクラシック三冠の一つプリークネスステークスで落鉄と外傷に見舞われながら優勝した。残る2戦は不運なことに、クビ差で2着、2馬身とクビ差で3着に敗れたものの、サイテーションハンデキャップ、シカゴアンハンデ、アーリントンクラシックステークス、そしてアメリカンダービーではレコード勝ちと、4連勝で凱旋門賞に挑んできた。 トムロルフの父は、1955年と1956年に凱旋門賞を連覇したリボーで、リボーの産駒は凱旋門賞に良績をおさめていた。鞍上にはアメリカのナンバーワンジョッキー、ウィリー・シューメーカーを迎えた。この時代はまだ現役のサラブレッド競走馬にとって大西洋を横断することは並大抵のことではなかったが、陣営は専属の装蹄師やガードマンを伴って渡欧した。トムロルフに合うよう、干し草や水もアメリカから持参した。。 それでもトムロルフ陣営にはいくつかの不利があった。アメリカでは既に殿堂入りしていたシューメーカー騎手だが、ロンシャン競馬場での騎乗経験がなかった。凱旋門賞の直前のレースに騎乗できるよう、騎乗馬を募る新聞広告を出すはめになった。また、アメリカで使用していたスパイク蹄鉄の使用も認められなかった。。 アメリカからはトムロルフを応援するファンが大挙して訪れ、「これほど多くのアメリカ人がフランスを訪れるのはノルマンディー上陸作戦以来だ」と語る者もいた。
※この「トムロルフ」の解説は、「第44回凱旋門賞」の解説の一部です。
「トムロルフ」を含む「第44回凱旋門賞」の記事については、「第44回凱旋門賞」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
サラブレッド |
フーワイ アドマイヤビッグ トムロルフ ベリーブラエ ガーネツト |
アメリカ合衆国生産の競走馬 |
ディストーテッドヒューマー フーワイ トムロルフ ベリーブラエ ハーフアイスト |
アメリカ合衆国調教の競走馬 |
トミーリー フーワイ トムロルフ ハーフアイスト ラヴァマン |
1962年生 (競走馬) |
チトセオー スターアッフェアー トムロルフ ゴールドディガー エイトクラウン |
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