デモの経過と影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/19 14:44 UTC 版)
10月16日、釜山大学と東亜大学の学生3000名余りが釜山市内でデモを行った。これに市民が合流し、同日午後8時頃には市庁前に集結した学生と市民、3000名以上が「維新撤廃」「独裁打倒」「野党弾圧の中止」のスローガンを訴えながら、警察と対峙、衝突する事態に発展した。群集は派出所や政府系新聞社、税務署など官公庁の建物へ投石、警察車両に放火するなど翌17日午前2時まで激烈なデモを展開した。あくる17日夜も、市内中心部でデモが続き、警察車両や派出所が破壊あるいは放火された。 朴政権は、大規模デモが発生する直前の10月4日に地下組織の「南朝鮮民族解放戦線(南民戦)準備委員会」(南民戦)を摘発(南民戦事件)していた為、二日間にわたって釜山市内で展開されたデモの背後には南民戦の残党がいると考えて「騒乱」の強硬的な鎮圧行動に出た。政府は18日午前0時を期して釜山一円に非常戒厳令を宣布し、釜山大学と東亜大学の休校処分、夜間外出禁止令の2時間延長など8項目の布告を出すと共に、市内に韓国陸軍特殊戦司令部の空挺部隊を投入してデモを鎮圧した。 釜山での「騒乱」鎮圧の直後の10月20日、釜山に隣接する馬山市において、慶南大学学生と市民による大規模デモが発生した。デモ隊は反政府スローガンを叫びながら、警官隊と衝突し、共和党の党舎や公共建造物等に投石するなどした。これに対し政府は、馬山及び昌原一帯に衛戍令を発動、軍隊を出動して鎮圧すると共に、慶南大学と慶南産業専門大学に無期休校措置を下すと共に、該当区域の夜間通行禁止時間も2時間延長した。 釜山と馬山における大規模デモの続発によって、韓国の政局は不安定な状態に陥った。そして、朴政権内部でも釜馬事態の発生原因と収拾方法を巡り、穏健派の金載圭KCIA部長と強硬派の車智澈大統領府警護室長との間で対立が深まった為、10月26日の朴大統領暗殺の導火線となった。
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