ディズレーリのユダヤ主義
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「反ユダヤ主義」の記事における「ディズレーリのユダヤ主義」の解説
イタリア系セファルディムのユダヤ系イギリス人の政治家・小説家のベンジャミン・ディズレーリは1844年のロバート・ピールを批判した小説『カニングスビー』(1844)や『シビル(女預言者)』(1845)などで、ヨーロッパの修道院や大学にはマラーノなどのユダヤ人がひしめき、ヨーロッパではユダヤ的精神が多大な影響力を行使していることを描いて、ゲルマン至上主義の逆を突いた。『カニングスビー』でディズレーリは「ユダヤ人が大きく加わっていないようなヨーロッパにおける知的な大運動はない。最初のイエズス会修道士たちはユダヤ人だった。西ヨーロッパを大いに混乱させているロシアの謎めいた外交は主にユダヤ人によって導かれている。現在ドイツにおいて準備され、イギリスではあまり知られていない強力な革命は第二のより広大な宗教改革運動になるであろうが、これは全体としてユダヤ人の賛助のもとで発展しているのである」と書いた。『タンクレッド』(1847)では「思い上がりではりきれんばかり、叩いてみて響きだけはよい革袋のような鼻のひしゃげたフランク人(ゲルマン人)」を揶揄し、セム的精神(ユダヤ精神)を称揚し、セム的精神が光明をもたらすことがなかったらゲルマン民族は共食いで滅亡していたと、いった。同時に、ディズレーリはみずからの人種を恥とみなしたユダヤ人を批判し、ユダヤ人はコーカサス人種であると考えた。 1847年下院での国会演説でディズレーリは、初期のキリスト教徒はユダヤ人であったし、キリスト教を普及させたのはまぎれもなくユダヤ人であったし、カントやナポレオンもユダヤ人であり、そのことを忘れて迷信に左右されているのが現在のヨーロッパとイギリスであると演説し、議会では憤怒のさざ波が行き渡った。カーライルはディズレーリの演説に憤慨し、ロバート・ノックスは、ディズレーリが挙げたユダヤ人一覧には一人もユダヤ的特徴を示している者はいないと批判した。 1848年革命についてディズレーリは、この全ヨーロッパ的暴動の指導者はユダヤ人だと述べ、その狙いは選民たるユダヤ人種がヨーロッパのあらゆる人種もどき、あらゆる下賤の民に手を差し伸べ、恩知らずのキリスト教を破壊し尽くすことであると主張した。ディズレーリは歴史の原動力について「すべては人種であり、他の真理はない」と述べるなど、ユダヤ主義に基づく人種主義者でもあった。 ディズレーリのユダヤ主義的な歴史観は、フランスの反ユダヤ主義者ムソーやドリュモンによってユダヤ人の秘密外交の証拠として好意的に引用された。また、ナポレオンを嫌っていた歴史学者のミシュレも、ディズレーリのナポレオンユダヤ人説に梃入れした。
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