テラペウタイを通じた仏教の影響
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「仏教とキリスト教」の記事における「テラペウタイを通じた仏教の影響」の解説
詳細は「テラペウタイ」を参照 テラペウタイ(en:Therapeutae)は禁欲的・神秘的傾向のあるユダヤ人の共同体で、特にアレクサンドリア周辺の地域に住んでいた。キリスト教や仏教徒のいかなる関係も主流派の学問には認められていなかった。フィロンは10年ごろに書いた『観想生活』で、1世紀初めのテラペウタイについて記述している。このころまでに、テラペウタイの起源は既に分からなくなっており、フィロンは彼らの名称の語源についても疑問を呈している。 ユダヤ教のテラペウタイの禁欲主義は何人かの初期のキリスト教解釈者によって、キリスト教の修道生活のモデルの先駆者だとみなされている。カエサレアのエウセビオスの『教会史』のようにキリスト教の禁欲主義の初期の記述だと誤解されることもあった。 禁欲主義は仏教とキリスト教の共通点とみなすことができる(しかしヘンリー・チャドウィック (神学者)(英語版)が、「他の世界宗教と比較してキリスト教では禁欲主義が顕著ではない[…]4世紀の禁欲主義運動は多くの批判を受けた。」と主張している)し、ユダヤ教の禁欲主義の不在と対照的である: 「禁欲主義は、この生の邪悪さと肉体の罪の元での崩壊を、基本的なものとして前提する宗教に固有なものである。それゆえ、キリスト教と同様に仏教も禁欲的な慣習を持つ。修道院はキリスト教カトリックに負けず劣らず仏教の制度である。モンタノス派その他に見いだされる、自然な欲求に対してなされる譲歩は、より低い程度の聖性である中に許されるが、完全に聖なる意志は肉体的欲求が少しでもあるところには生まれないという臆説は、ガウタマ・ブッダのいくつかの教説の中にも容易に見つけられる。仏教とキリスト教の聖人の理想とする聖性は、清貧と純潔、つまり純潔主義において極致に至る。断食その他の戒律上の方法は、肉体を抑制するために使われる。」 —The Jewish Encyclopedia ドイツの著述家ホルガー・ケルステンは、『イエスはインドに住んでいた、彼の磔になる前後の知られざる生涯』(2000年)やエルマー・R・グルーバーとの共作『超心理学者』(1995年)で、仏教はイエスの教えや生涯に重要な影響を与えたと主張している。約束の地に住んでいた上座部仏教の尊師だと彼らが主張しているテラペウタエでイエスが育ったとグルーバーとケルステンは主張している。イエスは仏教徒として生涯を送り、弟子に仏教の理想を教えたと彼らは力説している。
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