テラプレーン時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/14 16:05 UTC 版)
1933年式テラプレーンのみオプションで8気筒エンジンがあった。テラプレーン・エイト(Terraplane Eight)は直列8気筒で排気量は244 cu in (4.00 L)だった。ハドソン車も同系列のエンジンを載せたが、排気量は254 cu in (4.16 L)だった。テラプレーン 8のシリンダーボア径は2.9375 in (74.61 mm)、ハドソン 8は3.0 in (76 mm)で、いずれのエンジンもストロークは3.5 in (89 mm)の同じクランクシャフトを使っていた。 テラプレーン・エイトは大型エンジンを載せるため、より長いシャシ、ボンネット、フロントフェンダーとなり、ボンネットにベントドアを持つことが、直接ルーバーがプレス加工されていた直列6気筒版との外観上の違いだった。1933年式テラプレーンエイトクーペがパイクスピークヒルクライムで出した記録は20年以上破られることがなかった。 テラプレーンは1938年まで生産された。以降はハドソンの低価格モデルはハドソン112(Hudson '112')となった。モデル名はホイールベース112 in (2,800 mm)に由来する。 テラプレーンのシャシとエンジンはイギリスのレイルトン(Railton)も1933年から1939年まで使っていたが、この会社は1939年にハドソンが買収した。
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