タンボム会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 17:25 UTC 版)
「百済の王 クンチョゴワン」の記事における「タンボム会」の解説
ウィ・ビラン:チョン・ウンイン タンボム会の会主→遼西軍の大将軍→百済の兵官佐平・遼西郡公 東扶余の王族で麻余(マヨ)王の末裔。ウィ・ホンナンの兄 3歳のウィ・ホンナンをおぶって、高句麗の討伐を避け、遼東から遼西へ移り住む。鉱山や絹織り工場で働き、ウィ・ホンナンを育てた。高句麗に滅ぼされた東扶余の復興を目指し、タンボム会を作った。遼西へ向かうヨグを誘拐するため、彼を捕えていたヨサン、ヘ・ゴンの船を襲撃する。その後、ヨグを気に入り、共に清河院(チョンハウォン)を占拠したヨサン、ヘ・ゴンと戦い、清河院を取り戻す。遼西を攻略するため、東明団社を結成し、高平(コピョン)城を攻め落とす。ヨグと東明団社の主導権を巡って、幾度か争いを起こしている(どちらが先に城を攻め落とすか、どちらが先に趙の大将軍旗を奪うか)。穢王之印を手にしたヨグが東明団社の主になり、ウィ・ビランは東明団社から去ろうとした。しかし東扶余の夢を託すため、ヨグを主君として仕えることを決めた。 346年、遼西軍として帯方郡に侵攻する。コモリ城攻めでは、サユ王の身代わりとなったコ・チスを一騎討ちで討ち取った。 ヨグ即位後、第3功臣に褒賞され、地方軍を統率する兵官佐平に任じられる。第1王妃となるヨファを暗殺しようとするが失敗に終わる。ヨグに従い、遼西で燕軍と戦って遼西平定に貢献する。遼西へ向かう際、最短の海路を進むことを提案し成功させた。戦後、褒賞として廣陽城を領地として与えられ、遼西郡公に任じられる。 扱う武器は小型の戦斧、剣。 ウィ・ホンナン→チン・ホンナン:イ・セウン タンボム会の副会主→遼西郡公・郡夫人→ヨグの第2王妃→ヨグの王妃 東扶余の王族で麻余(マヨ)王の末裔。ウィ・ビランの妹。チン・ジョンの養女 タンボム会のアジトにやってきたヨグらの人質となる。最初はヨグを敵視し、短刀を彼の腹部に刺したりした。次第にヨグに惹かれていき、彼への恋心を自覚する。それからはヨグのために皮甲を作ったり、何かと世話を焼くようになる。ヨファを見るために鄴へ向かうが、ヨサンとヘ・ゴンに見つかり捕われる。しかし、ヨファによって救われ、東明団社討伐軍の規模等をヨグらに伝えた。 扱う武器は弓、飛刀、剣。高平城攻略や晋城防衛戦では何人もの敵兵を射殺し、優れた技量を見せている。 アジカイ→アジッキ(阿直岐):イ・イン タンボム会の軍師(策士)→東明団社の右軍使(ウグンサ)→遼西軍の右軍使(ウグンサ)→百済の内法佐平 タンボム会設立以前は、ウィ・ビランらと鉱山や絹織り工場で働いていた。ウィ・ビランを王とし、歴史に自身の名を残すことが夢で、その障害になるヨグを排除しようと目論む。ヘ・ゴンと手を結び、何度もヨグ殺害を試みるが失敗に終わる。ウィビランがヨグに臣従するのを見て、自身もヨグに臣従することを決めた。のちヤマト王権[日本][倭]に渡る。阿直岐の渡来は『古事記』『日本書紀』にも掲載があり、同時期に渡来した東漢氏の祖にあたる阿知使主と同一人物という説もある。 扱う武器は弓、飛刀。 トゥゴ→マッコヘ:チョン・フンチェ タンボム会の将軍→東明団社の右将軍(ウジャングン)→遼西軍の右将軍(ウジャングン)→百済の衛士大将軍 チヒの兄。タンボム会設立以前は、ウィビランらと鉱山や絹織り工場で働いていた。タンボム会が関わる戦いには全て参戦し、東明団社では高平城攻略に貢献する。晋城防衛戦ではポックゴムと共に決死隊を率いて、趙の討伐軍本陣を奇襲した。その後、大将軍旗を巡り、ポックゴムと争うが先に大将軍旗を奪われる。 約束や義理を重んじる人物。趙の討伐軍本陣を奇襲する前、ポックゴムにタンボム会が約束を違えたことを謝っている。大将軍旗を取ったポックゴムに矢で攻撃したアジカイを非難している。このとき、ポックゴムの命を奪おうとしたアジカイを制止する。遼西遠征の際の武勲により貴族風の名前であるマッコヘの名を授けられた。 扱う武器は大刀、弓。 チヒ:チョン・ジア ウィ・ホンナンの侍女→百済の女官長 トゥゴの妹。ウィ・ホンナンと行動を共にすることが多い。鄴ではヨサンによって負傷してしまう。
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