タウン・クリーク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/31 04:30 UTC 版)
「ウィルミントンの戦い」の記事における「タウン・クリーク」の解説
コックス隊はハーグッド隊をアンダーソン砦から追撃し、2月19日にはタウン・クリークの前線で追いついた。一方ホークの師団はウィルミントン市の南3マイル (5 km)、ハーグッド隊とは川向うに退却した。テリーがホークの後を慎重に追い、待ち伏せされたり、右手から側面を衝かれる可能性を心配していた。この時点でエイムズの師団がコックスの師団と共に川の西岸に居たので、テリーの師団はホークの師団に数で負けていた。このためにエイムズの師団が再度川を渡ってテリーの所に向かい、ポーターの艦隊は川の機雷の除去を始めていた。翌日、テリー隊が前進を再開し、午後にはホークの新しい防衛線に向かい合った。テリーは、ホークがそこから動かない考えであることを確認すると、自隊には塹壕掘りを始めるよう命じ、その間に北軍の砲艦はホークの師団のすぐ西の川岸に沿った南軍の砲台の強さを探った。 ハーグッド隊はタウン・クリークを渡す唯一の橋を燃やして、コックス隊の動きを遅らせ、クリークの北岸で塹壕に入った。コックスは南軍を包囲する作戦に固執していた。しかしハーグッド隊がアンダーソン砦から退却したためにその作戦を実行できなかった。そこのクリークは渡ることができず、2月20日にコックス隊は川で1隻の平底船を発見し、それを使って3個旅団を渡らせ、その間の陽動として第4の旅団がハーグッド隊と小競り合いを行っていた。ハーグッドは北軍の側面に回る動きを感知し、その陣地がもはや守れなくなったと判断して、ウィルミントンまでの後退を決めた。その退却を援護するために2個連隊を残した。その後北軍が湿地を抜け、南軍の側面を攻撃し、2個連隊を潰走させ、捕虜375名と大砲2門を捕獲した。翌日、コックスは破壊された橋を再建し、スコフィールド隊の砲兵隊がクリークを渡し、これでポーターの砲艦と共に、ウィルミントン市が大砲の射程内に入った。ブラッグ将軍は事態の切迫してきたことを理解し、市の放棄を命じた。2月21日、コックスの師団が市に向かう行軍を続けたが、ブランズウィック川を渡す橋が壊されていたことと南軍騎兵隊の攻撃を受けたために遅れ、一方でホークの師団はテリーの部隊を食い止め続けていた。ブラッグはその21日にウィルミントン市にいた北軍の捕虜を脱出させ、軍事的な価値があるもの全てを持ち出させた。綿花のタバコの樽を燃やさせ、北軍の手に落ちないようにさせた。さらに倉庫、鋳造所、造船所、船舶も燃やさせた。ブラッグは2月22日午前1時に部隊を退却させた。コックスの師団はその日午前8時過ぎに市内に入り、テリー隊がその1時間後に続いた。
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