ソーシャルパートナーシップ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:19 UTC 版)
「社会的市場経済」の記事における「ソーシャルパートナーシップ」の解説
社会的市場経済の社会的・温厚的な特徴を示す典型として、ソーシャルパートナーシップ(ドイツ語版)という理念が見られる。これは1950年代のオルド自由主義者においても、キリスト教社会論においても同様に見られるものであり、のちに様々な法律で実現された。この理念は、社会的市場経済の本質的な要素であるとも見られている。 それに対してルートヴィヒ・エアハルトは、「いわゆるソーシャルパートナー」を何度も批判していた。国民総生産の分配に奔走することで、公益を損ねると考えていたからである。ティム・シャネツキーの見解によると、エアハルトは、国家を公益の保護者として過大に評価しており、「集団エゴ(Gruppenegoismen)」に対して不信を持っていた。 ヴァイマル共和制時代に存在していた賃金の自律性と企業の(経営に関する労使双方の)共同決定に関する法律は、1933年ナチスによって廃止となった。戦後英米バイゾーンの行政が、賃金契約法によって賃金の自律性(ドイツ語版)を再確立した。コンラート・アデナウアーはこれを引き継ぎ、1949年9月20日の所信表明演説で、社会的市場経済は、雇用者と被雇用者の法的関係を新しく時代に合ったかたちで作ることで実現されなければならないと述べた。 さらに1952年10月11日に経営組織法が成立した。これは人事・経済・社会福祉の問題における被雇用者側代表の共同決定(ドイツ語版)を定めたものである。社会民主党は、1972年に経営組織法を改正、1976年に共同決定法を制定し、さらに規制を強めた。 当初労働組合は、社会的市場経済に反対しようとしており、別の経済秩序を求めていた。しかし、共同決定が可能になったため、労働組合は経済政策を結びつけることに成功した。それとは逆に労働組合は、ソーシャルパートナーシップということで、社会的市場経済の安定化に協力した。病気の場合の賃金支払い継続、解雇時に退職金支払いや経営合理化の義務化を定める「社会計画(Sozialplan)」、共同決定法の拡大、最低賃金制の導入などは、社会的市場経済の人気を広く一般的に高めることになった。 労働問題担当の弁護士でジャーナリストのベルント・リュータース(ドイツ語版)は、フランクフルター・アルゲマイネ紙の記事で「私の命題:社会的市場経済とソーシャルパートナーシップは対をなしている。前者がなければ後者はない」と総括している。 カール=ハインツ・パック(ドイツ語版)は、賃金の自律性と社会福祉国家は、「社会市場経済の支柱」であり、「根本的な要素」であると考えている。(経営に関する労使双方の)共同決定は、ソーシャルパートナーシップの核となるものであり、ビルガー・プリダット(ドイツ語版)によれば、パートナー(労使双方)を協同的な目的へと結びつけるものである。彼はそれが「社会的市場経済を維持する」ことになるとしている。
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