ソビエト連邦向け輸出車とは? わかりやすく解説

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ソビエト連邦(樺太)向け輸出車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 04:14 UTC 版)

国鉄D51形蒸気機関車」の記事における「ソビエト連邦樺太)向け輸出車」の解説

1949年ソビエト連邦輸出物資一環として国鉄客車各種などとともに30両が樺太送られた。なお、よく賠償物資として輸出との誤解みられるが、正規条約ある日共同宣言締結1956年であり、条約締結以前賠償物資請求原則的にありえない。そして日ソ共同宣言時には条約第6項においてソビエト日本対し賠償請求権放棄している。また当時複数文献機関車第3号1949年11月発行)や「交通技術51号1950年10月号)にも正規輸出との記述存在する一方賠償輸出」という記述見られ始めたのは、往時記録あいまいになりだし、孫引き増加した1970年代以降のことである。 これらは、同年1月から4月にかけて5社で製造されている。樺太向けに輸出されたものは、国内向けのものと区別するために、形式番号車両番号の間にハイフン入っている(例えば、国内向けは「D51 27」であるのに対して樺太向けは「D51-27」)。また防寒のために運転席密閉構造になっているなど、一部構造国内向けとは異なっている。 なお、形式ナンバープレートロシア語使用されるキリル文字の「Д」ではなくラテン文字の「D」が使われている。蒸気機関車研究家臼井茂信は、サハリン占領後鉄道システム日本式だったためではないか推測している。 樺太向けD51形製造の状況は、次のとおりである。 日本車輌製造(7両):D51-1 - 7(製造番号1512 - 1518川崎車輛(7両):D51-8 - 14製造番号3170 - 3176) 日立製作所(6両):D51-15 - 20製造番号2032 - 2037) 汽車製造(5両):D51-21 - 25製造番号2576 - 2580) 三菱重工業(5両):D51-26 - 30製造番号665 - 669

※この「ソビエト連邦(樺太)向け輸出車」の解説は、「国鉄D51形蒸気機関車」の解説の一部です。
「ソビエト連邦(樺太)向け輸出車」を含む「国鉄D51形蒸気機関車」の記事については、「国鉄D51形蒸気機関車」の概要を参照ください。

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