ソビエト連邦(樺太)向け輸出車
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「国鉄D51形蒸気機関車」の記事における「ソビエト連邦(樺太)向け輸出車」の解説
1949年、ソビエト連邦へ輸出物資の一環として、国鉄形客車各種などとともに30両が樺太に送られた。なお、よく賠償物資として輸出との誤解がみられるが、正規の条約である日ソ共同宣言の締結は1956年であり、条約締結以前に賠償物資の請求は原則的にありえない。そして日ソ共同宣言時には条約第6項においてソビエトは日本に対し賠償請求権を放棄している。また当時の複数の文献「機関車」第3号(1949年11月発行)や「交通技術」51号(1950年10月号)にも正規の輸出との記述が存在する。一方「賠償輸出」という記述が見られ始めたのは、往時の記録があいまいになりだし、孫引きが増加した1970年代以降のことである。 これらは、同年1月から4月にかけて5社で製造されている。樺太向けに輸出されたものは、国内向けのものと区別するために、形式番号と車両番号の間にハイフンが入っている(例えば、国内向けは「D51 27」であるのに対して、樺太向けは「D51-27」)。また防寒のために運転席は密閉構造になっているなど、一部構造が国内向けとは異なっている。 なお、形式やナンバープレートにロシア語で使用されるキリル文字の「Д」ではなく、ラテン文字の「D」が使われている。蒸気機関車研究家の臼井茂信は、サハリン占領後も鉄道システムは日本式だったためではないかと推測している。 樺太向けD51形の製造の状況は、次のとおりである。 日本車輌製造(7両):D51-1 - 7(製造番号1512 - 1518) 川崎車輛(7両):D51-8 - 14(製造番号3170 - 3176) 日立製作所(6両):D51-15 - 20(製造番号2032 - 2037) 汽車製造(5両):D51-21 - 25(製造番号2576 - 2580) 三菱重工業(5両):D51-26 - 30(製造番号665 - 669)
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