ソビエト連邦共産党入党
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「エフゲニー・プリマコフ」の記事における「ソビエト連邦共産党入党」の解説
1956年から1970年まで国家ラジオテレビ委員会のラジオ放送記者を務めたのを皮切りに特派員・外国向けラジオ放送編集者・編集長などの経歴を積む。1959年にソビエト連邦共産党に入党。1962年よりソビエト連邦共産党中央委員会の機関誌である『プラウダ』紙に勤務する。この間アジア・アフリカ局評論員、副編集長、中東特派員などを歴任した。中東特派員時代にサッダーム・フセインと親交を結ぶ。 1970年にソ連最高のシンクタンクとして名高いソ連科学アカデミー付属世界経済国際関係研究所(IMEMO)の副所長となる。1977年から1985年までソ連科学アカデミー東洋学研究所の所長を務め、同年にIMEMO所長となる。 プリマコフが政治に関わるようになるのはミハイル・ゴルバチョフ政権からである。1988年2月にソビエト連邦最高会議の議員に選出された。さらにゴルバチョフが新設した人民代議員大会においても、1989年にソ連人民代議員に選出された。同年から1990年までソ連最高会議連邦会議議長。ソ連共産党政治局員候補にも選出された。外交面でも湾岸危機ではゴルバチョフの特使としてバクダードを訪問し、イラクのサッダーム・フセイン大統領との交渉で「対話による平和解決」を引き出した。
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