ソビエト北西方面軍の攻撃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/26 23:51 UTC 版)
「デミャンスク包囲戦」の記事における「ソビエト北西方面軍の攻撃」の解説
北西方面軍の攻撃は第16軍(に所属している第2軍団の極一部)の北面を取り囲む予定となっており、ソビエト赤軍は北西方面軍がこの攻撃に成功した後、進撃を続けさせようと考えていた。最初の攻撃は、ソビエト赤軍最高司令部所属予備戦力であるソビエト第11軍、第1突撃軍、第1、第2親衛狙撃兵軍団が行った。そして第34軍の進撃を支えるために2個空挺旅団を投入して包囲したドイツ軍をさらに攻撃するために、第二波としてカリーニン方面軍の第3、第4突撃軍が2月12日、投入された。しかし、悪天候と困難な地形のため攻勢は徐々に停滞し、戦線は固定化された。 包囲されたドイツ軍に対してドイツ空軍第1航空艦隊により毎日270トンの必要物資を供給することができるとの確証を得たドイツ総統アドルフ・ヒトラーは包囲された各師団に包囲が撃破されるまでその位置を維持するよう命令した。包囲内にはデミャンスクとペシュキ(Peski)の2箇所に能力の高い飛行場が存在した。2月中旬、天候が回復すると、積雪が多かったにもかかわらず、この地域のソビエト空軍が脆弱だったため、ドイツ空軍による空輸活動は大きな成功を収めた。しかし、この輸送のためにドイツ空軍は輸送能力の全てを使い果たし、爆撃能力の一部も犠牲となっていた。 ソビエト北西方面軍は包囲内のドイツ軍を殲滅する必要に迫られ、デミャンスクとスタラヤ・ルーサの脆弱な連絡線であり、Ramushevo村を通る通称「Ramushevo線」に対して、冬、春に渡り繰り返し攻撃を行ったが、撃退され続けた。このため、全体で18個狙撃兵師団、3個旅団で編成されていたソビエト5個軍が4ヶ月間、この地に縛られることとなった。 しかし、5月末までにソビエト赤軍最高司令部は戦線の担当地区において全体的な状況を判断、その注意を夏にドイツ軍の新たな攻撃が予想されたモスクワ地域に移すことを決定した。
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