ソビエト支配下のベッサラビア(1940年 - 1992年)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/24 04:02 UTC 版)
「モルドバの言語・民族性問題」の記事における「ソビエト支配下のベッサラビア(1940年 - 1992年)」の解説
1940年、ベッサラビアとブコヴィナは、ルーマニア政府との「合意」にしたがってソビエト連邦に併呑された。ソヴィエト連邦の当局は、モルドヴァ人をルーマニア人から段階的に切り離す政策を採った。汎ルーマニア主義の支持者を「人民の敵」として物理的に抹消を図った。彼らは「ブルジョワ民族主義者」として内務人民委員部 (NKVD)、ソ連国家保安委員会 (KGB)による抑圧を受けた。ソビエト連邦のプロパガンダ (Soviet propaganda)ではまた、ソ連領内の住民の話すルーマニア語を、ルーマニア語から切り離し、独自の言語としての地位を確立させることを試みた。これに従ってソビエト当局は、ロシア語で使用されるキリル文字によるモルドバ語アルファベットを導入し、言語名として「モルドバ語」のみを認め、「ルーマニア語」と称することを禁じた。ソ連領内で行われた苛烈な反ルーマニア主義政策により、独自のモルドバ民族意識が植えつけられていった。
※この「ソビエト支配下のベッサラビア(1940年 - 1992年)」の解説は、「モルドバの言語・民族性問題」の解説の一部です。
「ソビエト支配下のベッサラビア(1940年 - 1992年)」を含む「モルドバの言語・民族性問題」の記事については、「モルドバの言語・民族性問題」の概要を参照ください。
- ソビエト支配下のベッサラビアのページへのリンク