ゼークトの軍事顧問団長就任とハプロ設立とは? わかりやすく解説

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ゼークトの軍事顧問団長就任とハプロ設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 17:20 UTC 版)

中独合作」の記事における「ゼークトの軍事顧問団長就任とハプロ設立」の解説

1933年5月ドイツの元陸軍参謀総長ハンス・フォン・ゼークトがヴェッツェル中将招き上海に赴き、経済・軍事に関して蔣介石の上顧問となったゼークト早くも6月経済・軍事推進計画概説蔣介石提出したその中で大規模訓練が行届かない現状の軍に替えて小規模で、機動性富み装備整った部隊整える事を要求し加えてゼークトは、軍隊は質によってその優劣決まり、その質の差は将校の質から生じるゆえに、磐石命令系統軍隊骨子を成す、という構想説いたゼークトは、まず第一に国民革命軍蔣介石号令の下に一様に訓練され統治される必要があり、組織ピラミッド型中央集権構造変える必要があるとした。これを達成するため、政府将校団厳選したドイツの「Eliteheer(エリート部隊)」に相当する模範旅団」を作って各地軍団訓練担当させれば良い提案した。 またゼークトは「日本一国だけを敵とし、他の国とは親善政策を取ること」とも蔣介石進言し、「いまもっとも中国がやるべきは、中国軍に対して日本への敵愾心を養うことだ」とも提案した。これをうけて蔣介石は、秘密警察組織である藍衣社による対日敵視政策をとるようになる当時国際的に孤立しつつあったドイツからの支援により、他国からの軍事支援を受けることが難しくなったため、中国国防産業自給進める必要があった。産業構造効率的にするためには、中国組織変えるだけではなく中国内のドイツ各組織統一化する必要があった。 1934年1月中国内のドイツ産業統括する「Handelsgesellschaft für industrielle Produkte」(工業製品営利会社、ハプロ)がベルリン設立された。設立者退役大尉武器商人であったハンス・クラインである。クラインはすでに1933年6月ゼークト中国をはじめて訪れたときに同行していた。ハプロ設立の目的は、ドイツ国家として中国への干渉深めている事に対して外国からの抗議をかわすためでもあった。 同年4月には、ゼークト大将はヴェッツェル中将に代わって軍事顧問団団長就任。さらに中国軍委員会の総顧問就任したゼークト1935年3月病気帰国するまでに以下のような軍事改革行った今後三年間にドイツ武器装備した二十師団形成 教導総隊の創設 中央士官学校陸軍大学校化学戦学校憲兵訓練学校防空学校などを南京設立

※この「ゼークトの軍事顧問団長就任とハプロ設立」の解説は、「中独合作」の解説の一部です。
「ゼークトの軍事顧問団長就任とハプロ設立」を含む「中独合作」の記事については、「中独合作」の概要を参照ください。

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