ジョーダン世代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 07:26 UTC 版)
「1984-1985シーズンのNBA」の記事における「ジョーダン世代」の解説
マジック・ジョンソンとラリー・バードがライバル関係を築いたことで高い人気を獲得したように、ジョーダン(NBA)が世界的な人気を勝ち得る上で、ジョーダン世代と呼ばれるライバルの存在は欠かせなかった。1984年のNBAドラフトはNBA史上最高のドラフトと呼ばれており、またこの年を皮切りに80年代後半から90年代のNBAを代表するスター選手が続々とNBA入りを果たしていく。 アキーム・オラジュワンはジョーダンを抑えて全体1位指名でヒューストン・ロケッツに入団した。オラジュワンはロケッツ史上最大のスター選手の一人として、ロケッツの黄金期を築き上げる。 "サー・チャールズ"、あるいは"空飛ぶ冷蔵庫"の異名を持つチャールズ・バークレーは、全体5位指名でフィラデルフィア・76ersに入団。史上屈指のパワーフォワードとして、90年代のNBAを盛り上げた。 ジョン・ストックトンはドラフト当初は無名の選手だった。しかし全体16位指名でユタ・ジャズに入団した彼は史上最高のポイントガードの一人となり、90年代後半にはジョーダン最大のライバルとなった。 翌年のドラフトではパトリック・ユーイング、カール・マローン、ジョー・デュマースがNBA入りしている。 重要なことは、彼らが一所に集まらず、各チームに分散した事だった。過去5年のドラフトを振り返ってみれば、ロサンゼルス・レイカーズやボストン・セルティックス以外のチームにとっては、実に不公平なドラフトが続いた。1979年ではマジック・ジョンソンがレイカーズから全体1位指名を受け、同じ年にラリー・バードはセルティックスに入団した。続く1980年の全体1位指名権はセルティックスが保持しており、セルティックスはこの指名権を利用してロバート・パリッシュとケビン・マクヘイルを同時に手に入れた。そして1982年の全体1位指名権はまたもやレイカーズの手にあり、レイカーズはジェームス・ウォージーを指名した。優秀な人材が、尽く強豪レイカーズとセルティックスに流れていったのである。結局NBAの人気はレイカーズやセルティックスといった一部のチームが独り占めし、大多数のチームは70年代から続くどん底の状態が続いていた。1983年の時点では全23チームのうち、17チームが赤字経営に陥っていたのである。 しかし1981年にはアイザイア・トーマスがデトロイト・ピストンズに、1982年にはドミニク・ウィルキンスがアトランタ・ホークスに、1983年にはクライド・ドレクスラーがポートランド・トレイルブレイザーズにといった具合に、スター選手の芽は少しずつ各チームに撒かれていき、そしてこの年を皮切りに一気にリーグ全体にスター選手の芽が広まった。彼らはそう時間を待たずして花開き、個性豊かな選手たちの活躍でリーグ全体が大きく活気付いていくこととなる。そして彼らがジョーダン率いるブルズと数々の熱戦を繰り広げることで、NBAの人気をかつてないほどに高めていく。 「スーパースター」という駒は着実に揃いつつあった。残る課題はスーパースターとNBAというソフトを世界に向けて発信する手段と、リーグを健全化するシステムだった。
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