ジャマイカ独立-スカの誕生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 07:17 UTC 版)
「レゲエ」の記事における「ジャマイカ独立-スカの誕生」の解説
詳細は「スカ」を参照 ジャマイカは1959年に自治権を獲得し、1962年には英連邦王国として独立を果たした。これを機にジャマイカのミュージシャンが自らのアイデンティティを象徴する音を模索し始めたことや、サウンドシステムやプロデューサー間の競争が激化したことによって生まれた音楽がスカであった。スカは、カリプソ、メント等の従来のジャマイカ音楽に、ジャズやリズム・アンド・ブルースなどのアメリカ合衆国の音楽が融合し誕生した。ウォーキングベース(英語版)がリズムをリードする点、ホーンセクションが主旋律を担当することが多い点などはジャズと類似しているが、ビートがジャズのようにシャッフルせず、1小節の2拍目と4拍目にイーブンにアクセントを置くアップテンポな裏打ちのリズムはスカ特有のものである。スカ誕生によってジャマイカ音楽は新たな時代を迎え、ヒッグス・アンド・ウィルソンが1959年に発表した「マニー・オー (Manny Oh)」は2万5千枚を超える売上を記録し、ジャマイカの音楽産業における最初のヒット曲となった。また 、同年プリンス・バスターがプロデュースしたフォークス・ブラザーズ(英語版)「オー・キャロライナ(英語版)」はカウント・オジーによるナイヤビンギドラムを取り入れており、ラスタファリ運動の精神をジャマイカ音楽に反映させた最初の楽曲であった。 また、中国系ジャマイカ人(英語版)のバイロン・リー(英語版)が映画『007 ドクター・ノオ』(1962年公開)に出演したことなどをきっかけに、スカはジャマイカの上流階級や海外にも徐々に認知を広げていった。1964年には当時のジャマイカで最も有名なスタジオミュージシャンであったドン・ドラモンド、ジャッキー・ミットゥらによってスカタライツが結成され。また同年にミリー・スモール(英語版)の歌った「マイ・ボーイ・ロリポップ(英語版)」は全世界で600万枚を売り上げる国際的ヒット曲となり、スカ人気は頂点に達した。しかし、そのわずか二年後の1966年後半にはスカ人気は終焉することとなる。
※この「ジャマイカ独立-スカの誕生」の解説は、「レゲエ」の解説の一部です。
「ジャマイカ独立-スカの誕生」を含む「レゲエ」の記事については、「レゲエ」の概要を参照ください。
- ジャマイカ独立-スカの誕生のページへのリンク