ジャマイカ植民地総督
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「エドワード・ジョン・エア」の記事における「ジャマイカ植民地総督」の解説
植民地総督として、エアは1865年のジャマイカ事件を徹底的に弾圧した。その過程で多くの黒人小作農が殺され、鞭で打たれた。また、反乱に関与した疑いで混血の植民地議会議員ジョージ・ウィリアム・ゴードンが処刑された。 この対応はイギリスで大問題となり、ゴードン殺害容疑でエアの逮捕および裁判要求が出された。ジョン・スチュアート・ミルはイギリスの高名な左派知識人(ジョン・ブライト、チャールズ・ダーウィン、フレデリック・ハリソン、トマス・ヒューズ、トマス・ヘンリー・ハクスリー、ジョン・ティンダル、ハーバート・スペンサーら)とともに「ジャマイカ委員会」を立ち上げ、彼の訴追を求めた。いっぽうトーマス・カーライルは、エアは秩序を取り戻すため適切に行動していたとして彼を擁護、別の委員会を組織した。カーライルの支持者にはジョン・ラスキン、チャールズ・キングズリー、チャールズ・ディケンズ、アルフレッド・テニスンが名を連ねた。けっきょくエアは殺人容疑で2度起訴されたが、それ以上ことは進行しなかった。 1970年、オーストラリア郵便公社は彼の肖像切手を発行した。
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