シュートボクシング時代
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白龍ジムでキックボクシングを始め、シュートボクシングでデビュー。第3代SBクイーン王座を獲得。全日本女子プロレスの興行で1992年には大田区体育館でバット吉永、1994年には日本武道館で前川久美子と異種格闘技戦も行った。
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シュートボクシング時代
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1986年、シュートボクシングジム「シーザージム」に入門。2か月後、16歳4か月で後楽園ホールにてプロデビュー。通常プロ格闘技は17歳からの出場が認められているが、旗揚げ2年目で選手不足であったため暗黙の了解で試合出場。当日のパンフレットには17歳と明記されて以降は2年間17歳と書かれ続けた。 デビュー戦の相手は関西出身の25歳。パンチパーマにヒゲ面の強面にビビった大江は試合前日シーザーからこっぴどく怒られる。しかし、その試合で対戦相手を見事なジャーマン・スープレックスで投げてダウンを奪い続けざまにバックドロップ、フロント・スープレックス等で投げまくり大差の判定勝ちを収めた。現在のシュートボクシングのチャンピオンベルトには、その時大江が放ったスープレックスのシルエットが刻まれている。そしてこのデビュー戦は高く評価され次回興行でベストファイト賞として表彰された。 格闘技ライターの熊久保英幸がこの試合を偶然会場で観て感動し、ライターの道へ進んだ。 2戦目は判定で破れるも、その後は破竹の勢いで6連勝4KO。波に乗った大江は18歳で日本タイトルへ挑戦する。 1988年5月21日、後楽園ホールにて大津亨一を破りシュートボクシング日本カーディナル級(スーパーフェザー級)王者となった。 デビューから2年弱で日本王者になった大江は3か月後、当時人気絶頂であったU.W.F.のビッグマッチ「真夏の格闘技戦」に出場。 有明コロシアムに集まった12,000人ものプロレスファンの前でシュートボクシングをアピール。6分13秒KO勝ちで連勝記録を更新。しかし、実は、この時に後楽園ホール以外の試合が初めてだった大江は、極度の緊張とプレッシャーから円形脱毛症になり、試合後ジム仲間と出掛けた海水浴でバカにされる。 以後、20歳の時にシュートボクシングを離脱。格闘浪人となり、タイ遠征を繰り返す。
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シュートボクシング時代
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「MIO (格闘家)」の記事における「シュートボクシング時代」の解説
2011年8月19日、SHOOTBOXINGでプロデビュー戦を行い、山田よう子の反則負けにより勝利を収めた。 2016年6月、及川道場からシーザージムに移籍した。
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