シュルレアリストとしての山本悍右とは? わかりやすく解説

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シュルレアリストとしての山本悍右

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 15:11 UTC 版)

山本悍右」の記事における「シュルレアリストとしての山本悍右」の解説

1932年4月、『独立B・2号に発表された“或る人間思想発展 寝室”(現・名古屋市美術館)は山本悍右発表され作品として現存する最も古い作品である。1938年、「青憧社」を結成し会報CARNET BLEU』を編輯発行戦時下国策により出版物日本名改称させられて行く中、1942年8月第5号終刊)までタイトルにはフランス語使用刊行した1936年、名前を悍右とする。 1938年、『夜の噴水』を編輯刊行官憲圧力により1939年10月4号終刊となる。 1939年には、山中散生下郷羊雄坂田稔らとナゴヤ・フォトアバンガルドを結成1939年より、北園克衛の「VOU」会員となり1978年解散まで『VOU』誌上、「形象展」に作品発表した戦前から「哲学会会員であった山本1940年フォトタイムス7月号に当時国家権力による言論思想弾圧描いた作品3点発表し、それに「・・・・・・牢獄の暗い石壁なかにも自由があるように」と書き添えている。掲載作品伽藍鳥籠” の伽藍権威鳥籠牢獄電話機言論であることが読み取れる戦後も「VIVI」(1948-1950)、「美術文化協会写真部」(1949-1954)、「窓」(1953-1958)、「炎」(1955-1961)、「日本主観主義写真連盟」(1956)、「ESPACE」(1956-1958)、「アルキシネ」(1958)、「前衛詩人協会」(1958)、「ナゴヤファイブ」(1963-1964)を結成戦前から戦後半世紀以上におよぶ長い期間を一貫して前衛写真家・詩人として活躍、その写真作品は自由、反戦反権力を軸としたシュルレアリスム系の華麗な作品が多い。

※この「シュルレアリストとしての山本悍右」の解説は、「山本悍右」の解説の一部です。
「シュルレアリストとしての山本悍右」を含む「山本悍右」の記事については、「山本悍右」の概要を参照ください。

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