シャルマネセル3世からアダド・ニラリ3世までとは? わかりやすく解説

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シャルマネセル3世からアダド・ニラリ3世まで(前859年~前783年)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 14:23 UTC 版)

新アッシリア帝国」の記事における「シャルマネセル3世からアダド・ニラリ3世まで(前859年~前783年)」の解説

アッシュル・ナツィルパルの息子シャルマネセル3世紀元前859年824年)は35年長きわたって統治したが、その間首都さながら軍事キャンプのようなものとなった毎年アッシリア軍は遠征繰り返したバビロン占領しバビロニアアッシリア属国へと成り下がったシャルマネセル3世ウラルトゥ戦いダマスカスのハダドエゼル率いアラム連合に対して軍を進めた。この連合にはイスラエルの王アハブ参加しており、紀元前853年カルカルの戦いにおいて、シャルマネセルが「敵を征服した」と記録しているにもかかわらず実際に戦い膠着しアッシリア軍はすぐに撤退したシャルマネセル3世は新ヒッタイト国の都市カルケミシュ紀元前849年奪った。そして紀元前842年、軍をダマスカスの王ハザエルに対して進め、その都市包囲し貢納強いたが、占領はしなかった。紀元前841年、彼はイスラエルイエフフェニキア都市ティルスシドンから貢ぎ物受け取ったカルフ発見された、彼の黒色オベリスクには、彼の治世中の多く軍事的功績記録されている。 シャルマネセル3世最後4年間は、彼の最も年上息子アッシュル・ナディン・アプルによる反乱悩まされた。この反乱は、アッシリア帝国にとって致命的なものになりかけた。アッシュルアルベラアラプハキルクーク)を含む27都市王位僭称者加わった。この反乱矛先は、直接に王に向けられたものではなく、むしろダヤン・アッシュルなど不相応な権力持った州知事に対して向けられた。反乱は、困難を伴いながらも、シャルマネセル3世2番目の息子シャムシ・アダド5世により鎮圧された。紀元前824年シャルマネセル3世が死ぬと、シャムシ・アダド5世が跡を継いでアッシリア王になった[要出典]。 長く辛い内戦は、南のバビロニア、北と東のメディアマンナエペルシア、そして西のアラムと新ヒッタイトアッシリア支配から逃れることを許したシャムシ・アダド5世残り治世は、これらの国々対す支配取り戻すことに費やされた。この期間、ウラルトゥは、この地域における自らの影響力回復する好機を逃さなかった。これらの出来事結果としてシャムシ・アダド5世治世中は、アッシリア領土それ以上拡大することはなかった。紀元前811年シャムシ・アダド5世の子アダド・ニラリ3世王位継いだとき、彼はまだ少年だった。このため紀元前806年までの5年間、彼の母である女王サンムラマートセミラミスとしても書かれた)が彼を助け摂政として統治したこの女に関して数多く伝説があるにもかかわらず当時アッシリア記録においては女に関す記述はほとんど存在しない紀元前806年アダド・ニラリ3世権力握った。彼はレバント地方侵攻しアラムフェニキアペリシテイスラエル、新ヒッタイトエドムを従わせた。彼はダマスカス入り、その王ベン・ハダド3世貢納強いた次いで彼はイラン向かいペルシアメディアマンナエを従わせ、カスピ海沿岸にまでも到達した彼の次の目標カルデアメソポタミア南部スーツ族(Sutu)であり、これも征服して属国とした。

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