シネマトグラフの世界伝播
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 16:31 UTC 版)
「シネマトグラフ」の記事における「シネマトグラフの世界伝播」の解説
リュミエール社の事業展開により、シネマトグラフはグラン・カフェでの上映会から半年も経たないうちにイギリス、ベルギー、オランダ、ドイツ、スイス、スペイン、イタリア、ロシア、スウェーデン、アメリカなどの欧米の国々に伝播し、その後間もなくエジプト、トルコ、インド、オーストラリア、キューバ、日本、メキシコ、インドシナなど、遠方の国や地域にも上陸した。エリック・バーナウは「グラン・カフェでの上映会の2年後には、南極を除くすべての大陸をリュミエール社技師が駆けめぐるようになっていた」と述べている。多くの国ではシネマトグラフが伝来したことで映画史が始まっており、リュミエール社が立ち去ったあとを引き継いだ新たな会社や、リュミエール社技師から技術指導を受けた人物、シネマトグラフもしくはその類似装置や他社製品を入手した人物などにより、その国での映画上映と撮影が受け継がれ、映画産業が発展するのに影響を与えた。各国におけるシネマトグラフの伝播の詳細は「各国での上映と撮影」を参照。 主な国におけるシネマトグラフの最初の商業上映の一覧公開年月日国都市上映会場リュミエール社技師または興行代理人1896年2月20日 イギリス ロンドン 王立科学技術会館(ポリテクニック) フェリシアン・トルウィー 1896年4月20日 ドイツ ケルン Deutschen Automatengesellschaft Stollwerck & Co.のホール ルートヴィヒ・シュトルヴェルク 1896年5月4日 ロシア サンクトペテルブルク 夏季劇場アクアリウム 1896年5月15日 スペイン マドリード ロシア・ホテル アレクサンドル・プロミオ 1896年6月27日 カナダ モントリオール カフェ=コンセール・パラス ルイ・ミニエ、ルイ・ピュピエ 1896年6月28日 スウェーデン マルメ 夏の劇場(工業および手工業の博覧会場内) 1896年6月29日 アメリカ合衆国 ニューヨーク キース・ユニオン・スクエア劇場 フェリックス・メスギッシュ、チャールズ・スミス・ハード 1896年7月7日 インド ボンベイ ワトソンズ・ホテル マリウス・セスティエ 1896年8月15日 メキシコ メキシコシティ ドロゲリア・プラテロス ガブリエル・ヴェール、フェルナンド・ポン・ベルナール 1896年9月28日 オーストラリア シドニー サロン・リュミエール マリウス・セスティエ、ウォルター・バーネット 1897年1月24日 キューバ ハバナ 旧市街パセオ・デル・プラドの一角 ガブリエル・ヴェール 1897年2月15日 日本 大阪 南地演舞場 コンスタン・ジレル、稲畑勝太郎
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