シネマハウスの時代
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「草津シネマハウス」の記事における「シネマハウスの時代」の解説
25年間にわたって2館体制で来た草津市であったが、1988年(昭和63年)に同館が5階建の建物としてリニューアル開館、1階に観客定員数120名の草津スターホール、2・3階に218名の草津シネマハウス1、4・5階に184名の草津シネマハウス2の3館に拡大、日本映画・外国映画のいずれも上映する邦洋混映館になった。当時の同館の経営は株式会社草津第二映画劇場(代表・角沙門)、支配人は川嶋尚であった。1990年(平成2年)には、同館の経営会社が株式会社シネマハウス(代表・角沙門)と社名を変更している。『ジュラシック・パーク』が大ヒットした1993年(平成5年)には草津グリーン劇場が閉館し、草津市内の映画館は、草津スターホールと草津シネマハウス1・2・3の1サイト4スクリーンのみになった。滋賀県出身のラジオパーソナリティ・野村雅夫は高校生だった1994年(平成6年)に、ジュリア・ロバーツ主演の『ペリカン文書』(アラン・J・パクラ監督)をシネマハウスで観たという。 1996年(平成8年)には、草津スターホールの名称を廃し、草津シネマハウス1・2・3・4・5の5スクリーンに拡大、その結果、翌1997年(平成9年)には、同館の年間入場者数がピークを迎える。 2007年(平成19年)9月30日、閉館した。『キクとイサム』、『フォレスト・ガンプ/一期一会』、『E.T. 20周年アニバーサリー特別版』、『ゴースト/ニューヨークの幻』が閉館特別番組として組まれ、最終日に上映した作品は、『タイタニック』、『ニュー・シネマ・パラダイス』、『キクとイサム』、『HERO』であった。 閉館理由は、ピーク以降は年間入場者数が減少し、10年で半減に至ったため、という。同市内の既存の映画館はこれで消滅したが、1年後の2008年(平成20年)11月26日、市内新浜町300番地にイオンモール草津が開業し、同施設に9スクリーンのシネマコンプレックス、ワーナー・マイカル・シネマズ草津(現在のイオンシネマ草津)が開館している。シネマハウスの跡地には、2011年(平成23年)2月に地上10階建てのマンション「サンシティ草津駅前」が竣工し、現在(2018年)に至る。
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