サリムグループでの活動
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「モフタル・リアディ」の記事における「サリムグループでの活動」の解説
一方でサリムグループ(英語版)創業者のスドノ・サリム(英語版)の知遇を得ると1975年6月にバンク・セントラル・アジア(英語版)(BCA)の経営者となり、文書管理や会計制度の改革を進めた。また、グダン・ガラムやユニリーバなど新規の大口取引先も開拓している。 さらにBCAを外国為替の決済が可能な銀行にするため信用力の高いアメリカの銀行の買収を検討し、ジャクソン・スティーブンス(英語版)の紹介などもあって1980年にユニオン・プランターズ・ナショナル・バンク・オブ・メンフィス(英語版)の株式を4.9%取得した。ユニオン・プランターズ・ナショナル・バンク・オブ・メンフィスとBCAは共同出資して香港にファイナンス会社を設立し、これによってBCAは外貨資金の獲得が容易になった。また、BCA自身も1985年にベトナム系華人との取引を目的にニューヨークに支店を開設している。 1983年にはマカオの誠興銀行(中国語版)をリッポーの香港法人がアメリカ人投資家などと共同で買収し、これに伴う不良債権などの問題を李嘉誠の力を借りて解決している。また、1980年代半ばにはリッポーと華潤集団(中国語版)が共同で出資して香港華人銀行(中国語版)を買収し、この頃に三男のスティーブンに香港リッポーグループの経営を任せるようになった。1986年には中国とインドネシアの国交正常化に先立ち中国銀行との為替取引契約を結ぶため、37年ぶりに中国を訪問している。この際に莆田市を再訪したのをきっかけに、アジア開発銀行の資金協力を得て福建省の湄洲湾(中国語版)での発電所建設計画に香港リッポーを通じて初期から参加し、2000年に発電所が操業を開始した。 インドネシアでは1981年にバンク・プルニアガアン・インドネシアの株式をスドノ・サリムと共同で49%取得し、数年後にリッポー銀行(英語版)と改称して次男のジェームズ・リアディ(英語版)に経営を任せるようになった。また、1988年には政府による銀行支店開設の規制撤廃を受けてBCAが150支店、リッポー銀行が100支店を1年間に開設している。規模が大きくなったBCAとリッポー銀行についてインドネシア証券取引所への株式上場を計画し、前者はスドノの反対にあったが、リッポー銀行は1989年に同市場に上場した。同年、検査で血栓が見つかってオーストラリアで冠動脈大動脈バイパス移植術の手術を受けている。
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