ゴッサマー・コンドルによるクレーマー・8の字飛行賞の達成
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「人力飛行機」の記事における「ゴッサマー・コンドルによるクレーマー・8の字飛行賞の達成」の解説
日本大学でストークBが開発された1976年、グライダーのチャンピオンとして有名だったアメリカ人ポール・マクレディ(Paul B. MacCready)もまたクレーマー8の字飛行賞に挑戦するために自らが立ち上げたエアロ・ヴァイメント社(Aero Viroment(英語版))のメンバーと共に人力飛行機・ゴッサマー・コンドル(Gossamer Condor)の開発に着手した。マクレディはハンググライダーの重量をそのままに27mまで翼幅を拡大できれば人力飛行が可能であると計算した。そのコンセプトを実現するために考案された機体は、それ以前の人力飛行機に多かったアスペクト比の大きな主翼を持ったグライダー風の機体ではなく、後退角のついた巨大な主翼と垂直尾翼を兼ねた背の高いコクピットを持った先尾翼型の形態で、多数の張線が張り巡らせたアルミニウム管の骨組みにフィルムを貼った簡素で軽量な構造であった。この簡素な構造は短時間での修復を可能とし、幾多の損傷を受けながらも10か月という短期間で、恐らくそれ以前の人力飛行機の総飛行回数を上回るであろう430回もの試験飛行を実現した。また機速はおそらくそれまでの人力飛行機の中で最も遅く、同時に翼面荷重が非常に小さく、同世代の人力飛行機の半分以下となる機体だった。ゴッサマー・コンドルは1976年10月に初めての試験を行い、試験飛行を重ねながら空力的改善、構造的改善がなされた。旋回飛行においては様々な手法により数多くの試行がなされたが通常の操舵法では達成されなかった。しかし計画初期からの協力者であったジャック・ランビー(Jack Lambie)の助言によりエルロン操舵時のアドバース・ヨーを利用した旋回法の確立に成功した。最終的な機体は操舵のために機体先端のカナード翼を傾けることで通常の飛行機の方向舵の代わりとし、主翼には翼端を捻る形式のエルロンが装備された。そして1977年8月23日にゴッサマー・コンドルはアマチュア自転車選手であったブライアン・アレンの搭乗で1/2マイル離れた2点を囲む8の字飛行を達成、クレーマー・8の字飛行賞を獲得した。 これを実質的な人力飛行の初成功とする場合もある。
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