コロンビア(太平洋岸北西部)遠征
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「ジョン・ケンドリック」の記事における「コロンビア(太平洋岸北西部)遠征」の解説
1787年、ボストンの実業家であるジョセフ・バレル(Joseph Barrell)が組織したシンジケートが、太平洋岸北西部探検の資金援助を行った。この遠征には213トンのコロンビア・レディビバ(Columbia Rediviva)と90トンのレディ・ワシントンの2隻が参加した。レディビバはラテン語で蘇生の意味なので、コロンビアは古い船を修理して使ったものと想像される。 ケンドリックは、コロンビアの船長に選ばれ、遠征隊全体の指揮をとることにもなった。このとき47歳前後と思われる。小型のレディ・ワシントンの方は、32歳のロバート・グレイ(Robert Gray)が船長となった。遠征隊の人数は両船合わせて50人ほどであった。隊員の中には、現存する唯一の航海記録を残している、19歳のロバート・ハスウェル(Robert Haswell)、独立戦争の退役軍人であり、後の1790年には毛皮貿易でケンドリックの競争相手となるホープ(Hope )の船長となる25歳のジョセフ・イングラム(Joseph Ingraham)、最年長であり、キャプテン・クックの第三回の探検にレゾルーション(HMS Resolution )の乗員して参加したサイモン・ウッドラフ(Simeon Woodruff)らがいた。 コロンビア遠征隊は1787年10月1日、ボストンを出港した。大西洋を南下し、11月9日にはカーボベルデに到着した。道中ケンドリックとウッドラフは争いを起こし、ウッドラフはここで下船してしまった。2隻は12月21日にカーボベルデを出帆し、さらに南下、1788年2月16日にはフォークランド諸島西岸の港に到達した。ケンドリックはこの間に今度はハスウェルと不仲になり、ハスウェルはレディ・ワシントンに乗り移った。2月28日出港し、マゼラン海峡は通らず、ホーン岬沖を通過して太平洋に入った。4月1日に嵐に遭遇し、2隻は離れ離れになったが、レディ・ワシントンの乗員たちはケンドリックと離れたことを喜んだ。 グレイらは8月2日に北西海岸を視認した。レディ・ワシントンは地元のインディアンと接触しながらさらに北上した。8月30日、バンクーバー島西岸のクレイコット湾(Clayoquot Sound)に入った。そこで地元のインディアンの酋長ウィカナニッシュ(Wickananish)と毛皮の取引を行い、9月16日にバンクーバー島西岸のヌートカ湾(Nootka Sound)に移動した。 ケンドリックも嵐を乗り切り、チリ沖のファン・フェルナンデス諸島に到着した。この間に2人が死亡し、数人の船員が壊血病にかかった。その後北上し、9月23日にヌートカ湾に入った。10月1日、出港から1年が経過していたが、ケンドリックはヌートカ湾のマルビナス入江(Marvinas Bay)で冬を過ごすことに決めた。 翌年3月、グレイは毛皮交易を開始したが、ケンドリックとコロンビア・レディビバはまだ準備ができていなかった。6月、ケンドリックとグレイはサン・ミゲル島(San Miguel Island)のスペイン軍要塞の司令官であるエステバン・ホセ・マルティネス(Esteban José Martínez)と会い、友好的な関係を築いた。 6月24日、ケンドリックはグレイとそれぞれの船を交換すると言う奇妙な決断をした。理由は不明であるが、小型で新しいレディ・ワシントンの方が扱い易というのも一因であろう。この時点で、遠征隊全体の指揮もグレイに委ねたと想像される。後にグレイはコロンビア川の探検(Robert Gray's Columbia River expedition)を行うが、コロンビア川の名前はグレイが船長を務めたコロンビア・レディビバに由来するものである。 7月下旬、ケンドリックはレディ・ワシントンでバンクーバー島に沿って北上を開始した。途中、クイーンシャーロット諸島でハイダ族(Haida)とその酋長コヤー(Koyah)と交易を行った。ある日、船から洗濯物が盗まれた。ケンドリックはコヤーを拘束し、洗濯物が帰ってくるまで開放しなかった。さらに、ケンドリックは、コヤーの顔を黒く塗り、髪を短く切り(短い髪は彼らにとって奴隷を意味した)、洗濯物を盗んだ代償として生皮を大量に奪い取った。その後、コヤーは酋長の座から一段低い地位に落とされてしまったが、この屈辱は忘れていなかった。この事件は、アメリカ人商人がインディアンたちからボストン・マンと呼ばれ、嫌われる一因となった、
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